ファーストクラスで世界一周

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来た。ついに来た。世界一周といいながら、たった4区間。貯めたマイルで交換した特典航空券だ。しかも全区間ファーストクラス。ファーストクラスですよ。信じられません。
これまで福岡往復の券に換えたり、新潟やスマトラ島の地震の義援金にしたことはあったけれど、こんなに一度に大量に使うのは初めて。金額に換算するとなんと910,000円。この人生、ファーストクラスはこれが最初で最後でしょう。
全旅程の合計距離は17,689マイルなので、今回使ったマイルは170,000マイル。ほんとは170,000マイル使うと、合計20,000マイルの距離まで動けるので、もう1、2区間くらい混ぜることもできるのだけれど、ファーストクラスは長距離路線で味わうのがよいと思ったのだ。
目的地に行きたくて旅行するのか、それとも飛行機に乗るために移動するのか、もう自分でも分からない。
それにしても、フランクフルト着05:45というのはどうよ。

旅行が久しぶりなので、ちょっとあせる。何を持っていくのだったかな。
ロサンゼルスは、E3 Expoだ。毎年、行こうよすげーから、と誘いながらも、なんとなく話が立ち消えしてしまうのだけれど、今年は不思議と盛り上がったままここまできた。しかも全員で4人。
A社勤務のデザイナーのオカケン氏。多摩美でもオカケンと呼ばれていてびっくりだ。彼の描くもの、作るもの、全部なぜか琴線に触れる。
N社(新しいほう)勤務のフジワラ氏。三十代にして初海外旅行。でも、僕だって国際線に初めて乗ったのは、5年くらい前のこと。(しかもなぜかノルウェー)
P社の社長のヨシオカ氏。京都在住。まさに腐れ縁だ。僕が失敗したのに比べ、彼はもう何年もカイシャをまわしている。それだけで凄い。
いずれも、ここから3年の間に僕の人生に絡んでくれそうな3人だ。あるいは今回はご一緒できなかったけれども、N社のK社長とか、東京西方のK社代表のK氏とか、何かそのあたりが複雑に組み合わさって、動き始めるのではないかと思っている。
さて、その後ニューヨークだ。軽くアメリカ大陸横断だ。ニューヨークでは、ブルックリンに滞在する。MoMAをしっかり見ておきたい。
そこから当初は日本に帰って仕事する予定だったが、なぜか帰りの便のファーストクラスが空いていなかったので、そのまま大西洋を渡ることにしてみたのだ。
そう、ドイツだ。いままで乗り換えしかしたことがないフランクフルトに、ついに降り立つのだ。滞在拠点をニュルンブルグにした。乗り放題切符を購入し、トーマスクック鉄道時刻表を見ながら、プラハやベルリンにも行ってみたいと浅い計画を立てている。
帰ってくる頃には、ああゲームだ、ゲームが作りたくて仕方ない、となっていたい。

でも、そんなことをいっても明日は朝から歯医者なのだ。麻酔だ。注射だ。今から痛い。

ああもう前日だ。
プレステ3も、Xbox 360も発表され、E3はかなり高揚しているに違いない。2日間、朝から夕方まで会場を徘徊し、世界中のあらゆるゲームを見る予定だ。
4人でいくのに、現地集合にしたので、初めからばらばらだ。
オカケン氏は大韓航空。僕らより3時間くらい早く着く。ゲームボーイでMotherをやりつつ待つらしい。戦闘で「ノミとシラミ」を使いながら、255ターン闘って、「勝負がつかない」というメッセージを見る事だってできる。
フジワラ氏はアメリカン航空。初海外でいきなり1人でアメリカン航空とは、どういう大人になるか楽しみだ。Good Luck!
京都から来るヨシオカ氏は僕と同じ飛行機だが、なんだかぎりぎりに成田に到着するらしい。チャレンジャーだ。走れ!
そして僕は、宿に通信環境もないと思われるため、ノートPCを置いて、ゲームボーイも置いて、デジカメと本だけ持っていくことにした。初の試みだ。沢木耕太郎の深夜特急、マグナスミルズも1冊持っていく。それから不要なページをむし取ったヨーロッパ鉄道時刻表。本の旅としたい。
こんなblogがリアルタイムに更新されていくのを楽しみにしてくださっていた読者のみなさんには申し訳ないが、帰国まで待たれよ。

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現地の気温を調べたら、東京(最高21度/最低15度)、Los Angeles(23/16)、New York(19/11)、Nürnberg(20/4)、Praha(16/3)という感じで、長袖、薄手のセーターもいるかなという感じだ。持って行く服を予定していたものから若干入れ替える。さすがにいつもの小さめのケースじゃ無理みたいなので、諦めて普通のスーツケースを持っていくことに。
吉岡君は、予約変更不可のチケットにも関わらず、接続がぎりぎりなことを訴えたら、1つ早い羽田行きに乗せてもらえたようだ。ANA最高。
世界一周の旅、出発。途中、インターネットカフェがあったら書き込み挑戦してみるか。

まずファーストクラスとは何かおさらいしておこう。客船に1等と2等、新幹線に普通車とグリーン車があるように、国際線には3つのクラスがある。時期にもよるが、ANAを利用したロサンゼルス往復の正規割引料金では、一番安いエコノミークラスは7万円で、乗客は詰め込まれる。次がビジネスクラス。36万円もするが、席がゆったりとしていてサービスもよい。ファーストクラスは往復なんと104万円だ。

ファーストクラスのチェックインは、Vカウンターで行われる。BやCカウンターではないのでちょっと探してしまった。すると、成田空港に来るタクシーやバスが横付けする、まさにあの場所にあったのだ。エコノミーや、ビジネス一般客とすれ違いもせずに、チェックインできてしまう。なんて恐ろしい世界だ。

ファーストクラス乗客専用のラウンジにヨシオカ氏と入る。彼は朝からの移動で腹減り限界で、サンドイッチなど食していた。もちろん無料だ。

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ラウンジで緊張しつつ、くつろいだフリをするヨシオカ氏

ラウンジのVIPらしき人物に、ANAの職員が次々とあいさつに来る。年に何回も往復104万円の移動をするのだから、もう電車に乗るような感覚なのかもしれない。
搭乗時刻になり、VIPは地上係員が搭乗口までお見送り。ヨシオカ氏と別れる。機内でも、カーテン2枚をくぐって向こうまで行けばヨシオカ氏と雑談できるが、それは難しい雰囲気だ。

ファーストクラスの席は2Aになった。横に2-2-2の座席で、2列。全部で12席あるが、ほぼ満席だった。仮に12人がそれぞれ104万払って乗っているとすると、それだけで1248万だ。160人のエコノミー客が7万ずつ払って乗ってもこれに及ばない。ああ。
座席の前の空間は窓3つ分だ。広すぎる。前の座席が霞んでみえる。乗客は各自が各自のペースで食事したり、映画みたり、寝たり起きたりすることが許される。しかしその度に隣の乗客としてはその様子が気になるわけで、むしろみんな一斉に食事がはじまるエコノミーのほうが美しいかもしれない。

離陸後しばらくするとメニューが渡される。食事のメニューとワインリストは別だ。チキンかビーフの選択肢しかないエコノミーからは想像もできない。ファーストクラスのメニューは、一応和食と洋食という区切りはあるものの、どれとどれを組み合わせてもよい。好きなものを好きなだけ食べればいいのだ。さらにうどんやらお粥やら、おでん、カレーなんかもいつでも頼める。チョコレート、チーズまであわせるといったいどれだけ積んであるのかと不思議になる。
しかし何より感動したのは、名前で呼んでもらえることだ。「sh様、お飲み物はいかがいたしましょうか」というわけだ。この瞬間、他のクラスの乗客と決定的に違うことを思い知らされた。エコノミークラスの乗客が荷物のような扱いであると確信した。

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洋食の前菜は5品から選べる

これはやっかいなことになったと思いながら、これから海外の航空会社のファーストクラスに乗ることが思いやられた。日本語ですでに意味不明だ。
シャンパンが飲みたいと思った。すぐにおつまみが小さな陶器で出される。

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食事の前に

続いて次の小さな器も登場し、シャンパンを20分くらい楽しんだか。やがてオーダーを取りにきてくれたので、「はじめてファーストクラスに乗るので、いろいろ教えてほしい」と正直に言うと、丁寧にメニューの外来語について解説してくれた。たとえば、アスパラガスのクーリとは、裏ごししてピュレ状にしたものということだ。このクラスの人には一般的な言葉なのか?そして、シャンパンにキャビアはいかがでしょうと勧められたので、頼んでみる。

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オシエトラキャビア トラディショナルガーニッシュを添えて

テーブルクロスが敷かれ、ナイフとフォークが並び、あら塩、コショウ、バターがならぶ。パンは3、4種類から選んで取る。水はスティルですか、スパークリングですかと聞かれる。そしてキャビアが出てきた。サワークリーム、玉ねぎ、ゆで玉子の黄身なんかとパンが出される。どうやって食べんすかこれ!
と思っていたら、また説明してくれた。ははは、この子はキャビアも食べたことないのかいと思ったか。

メインが肉だったので、なんとなく赤ワインを頼む。薦めてもらった赤ワインをテイスティングなんかしてみたりして、おおこれをお願いいたす、と。儀式だ。
デザートを頼む頃には、ほろ酔い度も最高潮に達しており、CA(キャビンアテンダント)さんにおいても、ざっくばらんに話してくれるようになっていた。ファーストクラスを担当している人は聞き方話し方が自然だし、うまいのだ。単純なのですぐ乗せられてしまう。デザートには「温製フルーツグラタン」はどうですか、ハーブティ好きでしょう。黒ゴマロールケーキも一口どうですか。すっかりやられてしまったのだ。食後のANAオリジナルのハーブティ風の緑茶が最高にうまかった。

映画を見ようとしたが、なぜか僕の席のやつは壊れていて、CAさんにそれを言うと、めちゃくちゃ謝られて恐縮する。ただで乗せてもらってるし、本もあるし、全然気にしないでくださいとこっちも必死になる。地上では明確にVIPと扱いが区別されていたが、機内では少なくともANAでは全く同じ扱いだった。もちろん僕のように特典航空券で乗っていても。

深夜特急をちょっと読んで、シートを倒して寝る。シートはすべて電動で、ボタン1つでフルフラットになる。ふわふわの大きな枕と羽毛ふとん。ここがビジネスクラスとの決定的な差なのだ。しかし、フルフラットとはいえ、これは椅子だ。腰のあたりとふくらはぎに強い圧迫感を感じる。一見平らなようで、圧力分布的には均等ではない。つまりとても寝れたものではないのだ。
ファーストクラス104万円の価値とは、食事の差や座席の機能というよりは、「最上級である」という意識を持てることに価値があるのではないかと思ったのだ。

12人分のわがままのための十分な食料と飲み物を搭載し、その大半を到着と同時に捨ててしまうことが気になって、ほろ酔い気分で目を閉じたとき、なぜか寂しい感じがした。

椅子に寝ている。寝返りに制限がある。床面の反発力が均等ではない。半端なフルフラットより、完全なエコノミーのシートのほうが寝られる。そういう気がした。まわりの人はこれで眠れているのだろうかとも思った。もちろん、これは一昔前の設備なのだ。秋ごろからこの路線のファーストクラスも新しいものに変わるらしい。
隣の人も早々と寝てしまったし、映画も見れないし、機内は真っ暗になったし、僕もシートを倒して目をつぶって寝たふりをした。途中水を飲みながら数時間。苦行のようだった。ビジネスクラスならもっと映画を見てたり、何か食べてたり、いろんな人がいるはずだ。この日のファーストクラスの乗客は大変な「大人」で、最低限のことをしてすぐ寝るという乗客が多かった。サービスに様々な選択肢があって、いろんなボタンが座席についているので、「子供」の僕はこみ上げてくる好奇心を抑えておかねばならず、つらかった。

やがて、日本では真夜中だが、ロサンゼルスの時間に合わせていくための、擬似的な朝が来た。目がさめたふりをすると、「sh様、お目覚めに何かお飲み物は」とただちに聞かれた。見張られている。
続いて広東粥を頼んだ。これはうまかった。

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朝食(日本時間的には夜食)

入国書類をあわてて書き、着陸。もちろんファーストクラスは降機も最優先だ。エコノミーの乗客を待たせている理由はこれだったのだ。機内でもらえる保湿クリーム、くし、スリッパ、歯ブラシをカバンに入れて降りる。
入国審査にならぶ。両手の人差し指の指紋と、顔写真をデジタルで記録される。人によってはさらにいくつか質問を受ける。これは時間がかかるはずだ。僕がパスポートにスタンプを受ける頃には、すでに人の列はさらに長くなっていた。

荷物を受け取り、税関を通り抜けると、フジワラ氏とオカケン氏がいた。2人ともなぜか徹夜したような顔をしている。同じ飛行機のエコノミークラスだったヨシオカ氏は、当然長蛇の列に巻き込まれ、それからさらに数十分して合流することになる。みな同じ飛行機にすべきだったということは、火を見るより明らかだ。

苦労しながらレンタカー屋にたどり着き、また列にならんでカウンターに立った。日本の免許証、クレジットカード、国際免許証を提示する。インターネットで予約していたのだが、普通のセダンだったので、4人は窮屈ですよ、と言われる。今なら+20ドルでトヨタのハイランダー(日本名クルーガー)にしますよといってきたので、それにした。ものすごく広い駐車場を番号を頼りに進んでいく。ハイランダーは7人乗りのSUVで、なんとそこに止まっていたのはなんと新車だった。
久しぶりの右側通行。感覚を切り替えるのは大変だ。初めての人は、人とすれ違うときに右側によける練習をしたほうがよい。真正面に歩いてくる人を右によけるのは意識的にやらないと難しいのだ。
9th、8thと道に名前が付いていて、それに直角に交わる通りにはFigueroa、Flower、Hope、Grandなどの名前が付いている。京都で四条河原町、千本今出川などと呼ぶのと同じ感覚だ。京都在住のヨシオカ氏は早速、9th、8thを、九条、八条と呼び始める。

ホテルまで30分くらいかかった。腹が減ってどうしようもないので、E3会場に向かう前にチャイナタウンに寄る。入った店は、客は多かったが、料理はひどかった。やたら黄色のタラのフライ・レモンソース。ものすごく甘い。チンゲン菜は、一切切らない束のまま炒められていた。これがアメリカなんだろうか。

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足らない箸を頼むオカケン氏

ミネラルウォーターを切らしていて、ひどい店だった。缶ジュースを飲みながら味付けが狂っている中華を食べる。死ぬ。

E3会場の駐車場が広い。やっと会場に入っても、パスを受け取る場所が以前と変わっていてかなり歩く。受け取るときに会社名を聞かれるのだが、耳が慣れていないフジワラ氏は相手が何を言っているのかわからず、横から助け舟を出した。もう夕方なので、この日は2時間くらいみんなでぞろぞろ歩き回って終わった。

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美しい任天堂ブース

Gameboy microは、事前の発表が一切なかったので衝撃的だった。Gameboyと書いてあったので、一瞬見逃しそうになったくらいだ。しかしアメリカ人の手にはあまりに小さすぎるようでもあった。

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衝撃の新製品

ソニーブースにも入ってみた。PS3は出てないところを見ると、奥に隠されているコーナーで発表されているのだろう。しかし塊魂の続編を見つけると、たちまちそれどころではなくなってしまった。

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We Love Katamariをプレイするオカケン氏

こんなに健全に進化している続編もめずらしい。ゲームには、そのゲームがそのゲームらしくあるための、ほんの5%くらいの重要な要素が隠れていると僕は常に思っている。制作者がそれをしっかり分かった上で、その5%を伸ばしていくのは本当に大変なことだ。
さすがオカケン氏。いきなりものすごい記録を出していた。神の子ではないかと思った。

続いて、ケンシアホールにいく。ケンシアホールは地下にあり、来場者が気づきにくいところにある。それで本当にやっていけるのか?と疑問に思うようなゲームや周辺機器が、自信満々に展示してあるのだ。

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あやしいHMDを試すヨシオカ氏
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あやしいゴルフインターフェイスを試すヨシオカ氏

展示されているものはたいしたことない。いやむしろダメなものが多い。しかし、そのあまりの勢いに酔ってしまいそうになるのだ。これが僕にとって、E3の核心であり、大きな魅力となってひきつけられてしまうのだ。

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アメリカ都心部の日常的光景

E3会場から出て、車であの有名なハリウッドの文字を探しに出かける。ヨシオカ氏の必死のナビゲートに従って、右往左往する。ハリウッドの文字が見える場所はなんとか発見したものの、すでに夕暮れ。カメラではうまく撮れなかったが、それで楽しかったからいいのだ。夕暮れといっても夜8時。サマータイムでだまされる。
メシを食う時間だ。ホテルに戻り、ホテルの横の日本料理屋に入る。さすがにみんな徹夜で動き続けたような感覚で、胃が弱っていたし、ニクを食う感じではなかった。すし&テンプラセットを頼む。オカケン氏がwithout wasabiと言い、他のみんながwith wasabiとそれぞれ言うので、店員が笑っていた。すしは、やたら硬い米で驚くが、味は普通で、ある意味裏切られた。

部屋に帰り、シャワーをあびる。シャワーの穴が小さすぎて、しかもそこから出てくるお湯の勢いがよすぎて、まるで針が飛んでくるようなシャワーだった。日本から持ってきたいつも使っているシャンプーの香りが救いだ。
ここで機内でいただいたスリッパが活躍する。土足が基本のアメリカ人は、風呂場からベッドに向かうとき何を履いているのだろうか。靴?それとも何も履いていないのか。
ともかく、ものすごく長い1日が終わり、倒れるように寝る。

横になってから寝るのは速かったが、時差ぼけのせいで夜中に何度も目が覚める。水を飲み横になるとまたすぐ眠れる。そんな夜が終わって朝8時、車に乗って出発。朝食は九条(9th)のあたりのフィゲロアホテルに向かう。
フィゲロアはE3の常宿だが、今回はいっぱいで予約が取れなかった。会場にものすごく近いわりに安いので毎年人気なのだ。それに朝食がうまい。ビュッフェスタイルで好きなものを取り、取ったものに応じて最後に支払う。何年たっても、一品たりとも内容が変わらないのが素晴らしい。3人は初めてなので、取り方には慎重さが見受けられたが、パンケーキが特に好評だった。

E3の2日目。集合時間を決めて、それぞれ好きなものを見てまわる。
本当は違うのかもしれないが、僕の印象としては全体の7割が殺戮ものという感じだった。2割が続編。ほんの1パーセントくらいが、おっと思わせるような作品か。
ゲームの内容で勝負できないものは、コンパニオンを大量に用意して、グッズを大量に配布してアピールしている。
ゲームがなくなる。そんな危機感さえ感じた。
来年はE3には来ないかもしれないな、とも思った。

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任天堂ブースで発見したLEDによるディスプレイ装置。左が遠くから見た感じ。近づいてよくみると右のようになっている

任天堂ブースに2時間並び、奥に隠されたエリアでゼルダの新作をプレイする。馬の感じが凄くよい。ゼルダは間違いなく面白いゲームになるだろうが、これは凄いというところも特にない。でもそれでいいのかもしれない。作家が自分が正しいと思うことを長きに渡り続けることで、芸術性が高まってくるのではないだろうか。ゼルダも芸術の域に達してきているのかもしれない。

ソニーのブースに1時間並び、PS3のもったいぶった発表映像を見る。ジャーンと、凄い演出で「Playstation 3」とスクリーンに表示されるも拍手なし。業界の人であるからこそ、これは困ったことになったと思っているに違いないのだ。
PS3はスーパーコンピューターの域に達しており、とてつもない表現力で、リアルすぎて気持ち悪いくらいだ。PS2でさえ、数億円かかるといわれているゲーム開発だが、PS3は8億~10億はかかるだろう。ユーザーはよりリアルなものを求め、メーカーも何倍もお金をかけて、よりリアルなものを作る。果たしてゲーム会社はゲームを作り続けることができるのか。ソニーがゲームをだめにしやしないか。

任天堂ブースで西さんのちびロボ!をプレイする。外国の人がプレイしているのを後ろから見ていたが、何をしていいのか分からない様子だった。それにしてもコンセントに差し込む感じ、引き抜く感じがとてもいい。殺戮ものの後ではほっとする作品だった。

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ちびロボ!

その他、Yoot Saito氏のピンボールゲーム「大玉」はインパクトがあった。みんなマイクでさかんに叫んでいたのが印象的だった。しかも彼らが何て叫んでいるのかわからず、自分でプレイすることは断念した。

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イギリスのブース。スコットランドやオーストラリアもブースを構えていた

E3会場をあとにし、サンタモニカに向かう。山と海だったら、海に行こうという単純な判断だ。フリーウェイをひたすら走り、中央の桟橋からかなり離れたところに駐車した。駐車場の選択としては間違っていたが、おかげでビーチをたっぷり歩くことができ、特にヨシオカ氏はご満悦の様子だった。海岸一つとっても、この国はスケールが違う。
桟橋にはちょっとした遊園地があり、観覧車はものすごい速さで回転していて、壊れていないとすればさながら絶叫系観覧車のようだった。

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サンタモニカビーチで寒そうなオカケン氏

海岸を十分すぎるほど歩いたあと、ダウンタウンから北西にいったところ、アルハンブラという地域のトニーローマに入る。1オンスが何グラムか誰も知らず、それぞれ7オンスのステーキを頼む。スモールとメニューには書かれていたが、実際は大きすぎた。付け合せの多さにも、テーブルのタバスコの瓶の大きさにも圧倒され、誰も帰り際に割り勘の計算ができなかったほどだ。

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トニーローマで食いすぎのヨシオカ氏

途中セブンイレブンに寄って水を買う。みんな乗ったと思って車を出したら、フジワラ氏が乗っていないことに気づいた。こんなところに1人残されたら、途方に暮れるところだ。
空の明るさにだまされて、結局ホテルに戻ったのは23時半だった。

ホテルはフリーウェイのすぐ横にあり、めちゃくちゃうるさい。普段なら絶対に寝ることができない騒音だが、それでも眠れるほど疲れすぎている。歩きすぎている。

起きて車でフィゲロアに行き、朝食。パンケーキ、ソーセージ、ベーコンと取っていくプロセスに、昨日の慎重さは誰にもない。レジに立つときの小銭の使い方が上達するのが何より楽しい。

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明らかに取りすぎのオカケン氏

旅行では、こういう同じことの繰り返し(パターン)ができると、いつの間にか面白くなっていくことがよくある。所詮、外国というものは訪問者には分からないものだが、同じところに毎日来ることで、ものごとを少し深く観察できる気がするのだ。

もう食えねぇといいながら、現代美術館(MOCA)に向かう。路上のコイン式パーキングに止める。詳しい単位は覚えていないのだが、50セント入れると7分半とか、25セント入れると3分45秒とか、実に妙な単位で時間が増えていく。みんなでありったけのコインを投入しMOCAへ。するとまだ開いてなかった。11時開館らしい。すげー遅くてびっくりする。
時間つぶしにディズニーコンサートホールを見に行く。朝なのにすでに強い日差しが、銀色の建物に反射してまぶしい。町中の歩道のコンクリートが白いせいもあって、サングラスなしでは歩くのもつらい感じだ。

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ウォルト・ディズニー・コンサートホール(設計フランク・ゲーリー)

建物の脇の階段を上ると、そこは建物に付属した小さな公園だった。鳥の鳴き声が聞こえる。僕が毎年欠かさず見ている「マスターズ・ゴルフ」の中継で聞こえてくる鳴き声だ。アメリカではメジャーな鳥なのか。一体何という名前の鳥なのかいまだに分からないが、僕は、開催地ジョージア州オーガスタに因んで、昔から仮に「オーガスタの鳥」と呼んでいる。
日陰もあり、オブジェや植物を見ながら過ごす時間が心地よかった。

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コンサートホール裏のオブジェに見入るフジワラ氏、ヨシオカ氏

10時半になったので、MOCA Storeに行ってみる。相変わらず変なものが置いてある。みんなお土産を買っていた。11時になったのでようやくMOCAへ入る。美術館は、わりと小さめで、今回は映像作品が中心の展示だった。中でも絵の具やオイルがにじむ様子を撮った作品が印象的だった。
ちょうど小学生くらいの子供たちがスクールバスで来ていた。小さいころに現代美術に触れられるなんてうらやましい。

次はIKEAだ。バーバンクへ移動する。途中、凄い渋滞に巻き込まれ、すっかり疲れてしまう。車を止めて、IKEAの正面にあるメキシコ料理屋に入る。

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昼食

タコスとコーンとズッキーニとピラフのセット。レモネードはめちゃくちゃうまかった。
ここでフジワラ氏の食欲がガタンと落ちる。持参した胃薬を贈呈する。
気が付いたら僕が一番食っていた。実におかしい。

3人はIKEAを見るのは初めてだ。最初は様子を見ていたが、途中からめちゃくちゃ買い物バッグに入れだした。彼らもまた、IKEAの魔力にやられたのだ。
オカケン氏はコップを20個以上買っていたのではないだろうか。4個99セントなので無理もないが、それにしても大量に買っていた。IKEAは南船橋に日本1号店が出来るらしい。行く度に、家具を買いたいのを我慢していたので、南船橋に出来ると歯止めが聞かなくなりそうで不安だ。

バーバンクからハリウッドへ。道という道に名前がついているので、慣れてくると、地図1枚でどこへでもいける。日本は集落(ブロック)に名前を付け、集落と集落の間に道があるという捉え方が普通だ。アメリカ人からしてみれば、日本はなぜ道に名前をつけないのかということになろう。日本では道に名前がつけられる場合、「渡辺通り」「よかトピア通り」のように愛称として使われ、住所の一部としては機能していない。国土が狭く、起伏が激しいために、道がまっすぐ作れないという事情もあったのだろう。一方で峠という峠に名前がついていることも興味深い。一度調べてみたいと思っている。

さて、お目当てはハリウッドパーク競馬場だ。競馬に詳しいフジワラ氏もいるが、一番ここを希望したのはヨシオカ氏だった。詩人ブコウスキーが見つめたハリウッドの競馬場という空気というものを、ぜひとも吸ってみたいという希望だった。
車で入っていくと、バレー(Valet)と書いた看板がある。最初その意味がわからず、まわりの様子と係員の話から勘で探り当てる状態だった。バレー・パーキングとは客の車を係員が預かるサービスだ。帰りは札を渡せば、車を持ってきてもらえるので広い駐車場を歩く必要がない。
ちょっと奮発して4人用のBOX席を買い、1レース目は様子を見る。2レース目でなんとヨシオカ氏が見事的中。神がかっている。

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ヨシオカ氏の戦利品

日本の競馬と若干違うところに戸惑いつつ、マークシートを塗り続けるが、材料が少なすぎるということもあって、3レース目以降は残念ながら誰も当てられなかった。
僕は日本の競馬場には行ったことはないが(東銀座の場外馬券売り場のみ)、テレビで見たり、話で聞くところによると、ずいぶん散らかっているらしい。ここは全然散らかっていなくて、競馬新聞を振っている人もいないので、かなりマナーが良いといえる。フジワラ氏が感動していた。
僕はといえば、空港の2本の平行滑走路に向かう飛行機が、競馬場の正面に連なって見えるので、空ばかりみていた。

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真剣なフジワラ氏

十分楽しんだので、9時過ぎに競馬場を後にする。フリーウェイは使わず、フィゲロア通りを94条ぐらいからダウンタウン方向に向かう。夕食を食べる場所を探しながらの移動だったが、通りはマクドナルドとバーガーキングだらけ。この国はこの先どうなっていくのか。
途中で見つけた知らないファミレスに入る。店員の兄ちゃんが陽気で、無料で水もでてきて、とてもいい感じだった。魚のフライ+えびフライ+ポテトを注文する。かなり多いはずなのに、なんかこれくらいの量が普通に見えてくるから恐ろしい。チップは不要のようだったが、サービスがよかったので置いてきた。
フジワラ氏は胃薬2投目。復活なるか。
体調を壊しやすい僕はなぜか平気だ。しかし、15日間の旅行のまだ4日目。ここでやられるわけにはいかないのだ。

オカケン氏が帰国する日だ。まだ4日目なのに帰国してしまうなんて早すぎる。
朝早くホテルを出る。すっかり慣れた道を、フィゲロアに向かって走る。道沿いには、薄い紫色の花が桜のように咲いている。ジャカランダという熱帯の木らしい。緯度では松山市と同じなのに、ロサンゼルスは熱帯の植物が育ち、まるで気候が違う。
フィゲロアに着いて朝食。オカケン氏は、いつにもまして食いすぎだ。

余裕を見てフィゲロアを出発し、フリーウェイを南下。ちょっと早く着きすぎるかな、と言っていたら、なんと空港に向かう道が封鎖されていた。九州自動車道の鳥栖インターで、横断道長崎行きの道が閉鎖されているようなものだ。
インターチェンジのど真ん中なので、降りることができない。他に選択肢はなかった。一旦東向きに走り、最初の出口を降りて戻ってくるしかない。
しかし、その東向きもなぜか大渋滞。10分たってもほとんど進まない。まさかこっちも封鎖されているのではないか。不安がよぎる。もはやオカケン氏もこれまでかという感もあった。

30分くらいたっただろうか、ようやく東行きは流れ出した。しばらく行くと、路肩を無理に急いだ車の事故処理が行われていた。こいつのせいか。
トムブラッドレー国際線ターミナルに9時到着。途中の事態を考えれば奇跡的な時間だった。チェックインを終え、3階で別れの一杯。オカケン氏は、ラージサイズのペプシが小さく見えるというからすっかり病気だ。

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謎の笑みを浮かべて去り行くオカケン氏

3人になった。空港を出てすぐのガソリンスタンドに行く。アメリカはほぼ例外なくセルフサービスだが、最近は日本でも増えてきており、簡単だろうと思っていた。ところがだ。

1. 会員証を入れるところにクレジットカードを入れてしまい、カードが吸い込まれる
2. 係員を呼んでカードを救出してもらう
3. クレジットカードを正しいところに入れると、ディジットエラーと表示される
4. 係員を呼んでエラーを報告
5. そのカードは使えない、店に入ってカードを提示しろと言われる
6. 店に入り、店番にカードを渡して給油開始
7. 店に戻って料金を払う

何がセルフサービスだ。

ユニバーサルスタジオへ向かう。といってもアトラクションに乗りまくるのではなく、併設のショッピングモールが目的だ。
フジワラ氏は、古い電子野球ゲーム機と、MLBモノポリーにときめいていた。ヨシオカ氏もスターウォーズにやられていた。

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買う予定がなくても買ってしまうフジワラ氏

絞りたてジュースの店を発見し、オリジナルサイズとスモールサイズとあるところ、オリジナルサイズを頼んだ。でかい。飲んでも飲んでも減らないのだ。これが標準サイズというのは絶対に何かおかしい。オレンジ数個を一気食いしたのと等価で、はからずもこれが昼食となった。

パサデナに移動。ディスカウントストアのTARGETに向かう。ここはさすがに何も買わないだろうと思っていたら、ヨシオカ氏はフットボールを手にとって真剣に悩みだすし、フジワラ氏は旅行用のトランクケースを物色しはじめる。僕は迷いに迷っているフジワラ氏の横で、今度はバルサ見にスペイン行くし買っといて損はないとか、日本円で考えてもこれは安いとか、取っ手が一本のケースは小回りが効いて反転させやすいとか、「買わない理由」ではなく「買う理由」を挙げていったのだった。
結局、ヨシオカ氏はあきらめ、フジワラ氏は購入。理由は、みやげ物が増えたからだという。

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パサデナのターゲット

ヨシオカ氏先導でパサデナを歩く。古い建物が突然あったりして、不思議な町並みだった。日差しに向かって歩いていくので、かなり体力を消耗し、もう戻ろうよと口に出したりした。しかしヨシオカ氏はどこか目的地があるらしく、いやもう少し先まで行きましょう、とひっぱる。
MOMAショップだった。ロサンゼルスなのにMOMAショップ?と思って入ると、ニューヨークでしか買えないはずのMOMAみやげがところ狭しと置いてあった。ニューヨークにいかずとも、ニューヨークみやげが買える。ちょっと寂しい。
ヨシオカ氏のお目当てはカバ像だった。MOMAのマスコットで、名前はウィリアムというらしい。店員さんが暇なのか、次々とウィリアム関連グッズをひっぱりだしてきて、並べだす。ヨシオカ氏は、いろいろ薦められていた。
フジワラ氏はといえば、フランク・ロイド・ライトの名刺入れが気に入った様子だった。しかし、サッカー・バルセロナのロゴが入った名刺入れ持っているじゃないか、と言うと、名刺入れは2つはいらないという結論に達したようだった。
パサデナの郵便局に寄り、ユニバーサルスタジオで買った「スターウォーズ塗り絵帳」を松本サルト氏に向けて送る。封書なので、通関のための書類も書く。窓口の人がとても親切でよかった。

アルハンブラ方面に行き、プロスペクトプラザで中華。昼がオレンジジュースのみだったので、かなり注文する。うまい。うますぎる。うまい白米も出た。お茶も出た。中国の食の深さを実感した。フジワラ氏の体調もどうやら戻ったようだ。

<店情報>
Mei Long Village
301 W.Valley Blvd. Prospect, San Gabriel CA

一生かかって作る予定のゲーム3部作についてヨシオカ氏と話す。
1作目は「能」。舞(まい)と謡(うたい)と囃子(はやし)の三要素から成り、舞踊と劇の要素を内包する。
2作目は「禅」。精神を一つの対象に集中し、その真の姿を知ろうとする。
3作目は「方丈」。一丈四方、四畳半ほどの広さで、世俗を捨てた閑居生活の楽しさを語る。
まさかこんな3部作を構成するとは、勢いとは恐ろしいもので。

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貨物列車の通過を待つ夕暮れ

なんと8時にホテルに戻る。外はまだ明るいが、そろそろたっぷり寝たい。
ところで、ホテルの横のフリーウェイには、10分間に1台くらい、可能な限りボリュームを上げて、地面に低音を響かせながら走る車がいる。借りたレンタカーも低音が強すぎて、設定を変えても抑えることができなかった。
低音がドンと響くほうがいいんだ。ポテトは山盛りがいいんだ。飲み物はたっぷり飲むのがいいんだ。そういう価値感の人が多いというだけの話か。

最後のフィゲロア。こうなってくると、フィゲロア以外の朝食が考えられない。ヨシオカ氏はソーセージうますぎとか言って、おかわりしていた。気づいていないだろうけど、彼は朝食にお金をかけすぎたと思う。でも、彼の目は、金じゃないんだと言っていた。

2人の飛行機は遅かったので、朝食後はゆっくりとした時間が流れた。デジカメのスポット測光についてちょっと講義する。

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薄暗いフィゲロアホテル

フィゲロアを出発。昨日の教訓から、カープールを使って一気に空港へ。道路の閉鎖もなく、あっという間についた。しかし、空港はものすごい混雑で、2人がチェックインを終えるころには、預け荷物の検査の順番待ちの人が空港の外まで列を作っていた。

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フリーウェイ。左側2車線がカープール、右が普通車線

空港には3時間前までに着くようにしましょうというのはなんとおおげさなと思っていたが、そんなことはない。慣れない国、慣れない空港では、どこで何があるか分からないのだ。

フジワラ氏は昨日ターゲットで購入したトランクケースが気に入った模様。アメリカン航空のカウンターで見送る。ヨシオカ氏はANA便で帰国。彼は帰国したあとすぐ伊丹、京都への移動があるから大変だ。

さて、いよいよここからが1人旅だ。多人数で気が緩みつつあったのを引き締める。今日はレゴランドに行こうと決めていた。
ターミナルの1階、到着ロビーでレゴランドの場所を聞く。とても親切に教えてくれた。しかし、ゆっくりしゃべってくれても、レゴランドのあるCarlsbadという地名は聞き取りが難しかった。
もらった地図を頼りに、フリーウェイを405で南下し、5-southに入る。アメリカの運転のコツは、とにかく車線変更の正確さだ。サインをよく見て、早めに車線をあわせる。間違ったら、次の出口で降りて、反対行きに乗ればよい。

フリーウェイはnorth, south, east, westのどれかで方向が識別されていて、慣れると分かりやすいものだ。ところで、日本では道路や鉄道の方向は「上り」「下り」という。この考え方はどうやって生まれたのだろう。

最初に京都に行ったときに、京都駅から北を見て、左側に右京区があることに戸惑った。つまりそれは天皇から見て、朱雀大路の右側が右京区という考え方なのだった。
ひなまつりに登場する左大臣は僕らから見ると右側に置かれるのも同じ。天皇から見て左側は、日が昇る東の方角ということで、より位の高い場所とされたようだ。
ちなみに「左遷」という言葉の意味は、臣下から見て、右から左、つまり左大臣から右大臣に「降格」することだそうだ。なんと。

天皇が中心だから、江戸に下る、京に上ると表現するわけだが、明治維新以後は東京が中心となり、今は、各都市の中心などに向かう方向が上りとされていて、実にあいまいだ。
絶対的な方向を使用しているアメリカはどこまでも合理的だ。しかし相対的な方向を使用し続けている日本には、計り知れない味がある。これが歴史の差というものなのかどうかは分からない。
だいぶん話がそれた。

5-southで海岸を75マイルで走る。パトカーが頻繁に走っているので、スピードに気をつけなくてはならない。途中、霧が濃いエリアを通過。身をかがめつつ走る親子連れの絵が描かれた黄色の注意標識があった。密入国者がここを横断するということか?
Carlsbadで降りるが、レゴランドの何の案内看板も見つけられなかった。日本の高速のように、降りたらすぐ視界を覆うような案内看板があるわけではない。

こういうときはどうするのが一番よいか。ホテルに入って聞くのがいいといえよう。近くにヒルトンがあったので、ロビーにずかずかと入っていって、大変すまないがレゴランドの場所を教えてくれと聞く。すると、道順をプリントアウトしてくれた。それにはこう書いてある。

1 LEGO DRIVE CARLSBAD
DIRECTIONS:
RIGHT ONTO CARLSBAD BLVD
RIGHT UP THE RAMP ONTO PALOMAR AIRPORT RD
LEFT ON ARMADA, IT WILL TAKE YOU LEGOLAND DRIVE

なぜか全部大文字だった。でも、なんて簡潔でわかりやすい表現だろう。
こんな丁寧な対応を受けたのに、閉園の1時間前までには着かなくてはと焦っていたのか、フロントでチップを渡すのを忘れてしまい、実に心残りだ。夢の中でチップを渡すくらいにならないと。

なんとか15時にレゴランドに到着。レゴランドにこんな遅い時間に訪れる人は少ないようだ。

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レゴランド入り口

入り口からしてレゴだ。一歩足を踏み入れると、そこは圧倒的創造物の塊だった。人、動物、建物などありとあらゆるものがレゴで作られている。
子供は水遊びや、ジェットコースターなどに夢中だが、大人はミニチュアの街に目を奪われている。

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レゴで作られた街

アトラクションを見てまわっていると、恐竜の骨発掘遊びのようなものがあった。これをアトラクションとして成立させてしまうこと自体凄いが、これがレゴランドにあるということも面白い。子供のときのこういう体験1つが、どれほど人生を幅を広げることになるか分からない。

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発掘調査遊び

そしてなんといっても圧巻は、実物大のボルボXC90だ。

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実物大レゴ車

201,076個のレゴが使われており、デザインに3人×3週間、組み上げに5人×2ヵ月半かかったという。それをくみ上げている場面を想像しながら、ただ口をあけて見ているだけだった。
園内のショップでは、さすがレゴランドだけあって、全色全パーツを量り売りしていた。思わず全部1個ずつかって帰ろうかと思ったくらいだ。

圧倒されたままレゴランドを後にする。フリーウェイ5-northを戻り、そのまま帰るつもりだったが、途中でなぜかCoast Citiesと書かれている案内に導かれて、海岸沿いの道に下りてしまう。海岸の雰囲気のよい街をいくつか通り過ぎて、ガソリンスタンドへ。前回は大失敗したが、今回は余裕で給油完了。再びフリーウェイに乗って、途中間違ったりしつつも、ホテルまで地図なしで帰った。凄い成長だ。

昨夜のプロスペクトプラザの中華があまりにおいしかったので、今夜は別の店に入ってみることにした。しかし1人なので、あれもこれも食べられないのが辛い。ちょっと辛めの中華麺をすすり、ホテルに戻る。
部屋で洗濯を開始。洗面台をせっけんで洗い、日本から持ってきた個袋洗剤をお湯にとかし、手もみ洗い。ファーストクラスで移動していながら、ホテルの部屋で洗濯している姿を想像してほしい。
すすぎ終わって、干した後、なんとなく明日の飛行機の時間を確認したら、朝8:40の便だった。夕方の便と思い込んでいたので、大変なことになるところだった。5:30には起きなければ。

5時半に起きる。今日はロサンゼルスからニューヨークへの移動日だ。
6時過ぎに出発しようとするが、ホテルのフロントには誰もいない。仕方ないので鍵を袋に入れて置いておく。Sorry, I have to leave now.とかメモを残して。
今日もまた空港へ向かう。ここのところ毎日同じ道を移動しているので、すっかり慣れた。rental carsのサインに沿ってしばらく行くと、car returnというところにたどり着いた。誘導に従って駐車場のようなところを走り、鍵をつけたまま車を降りて終わり。サインもなにもなしで簡単だ。
送迎バスに乗る。乗るときに受ける質問は「airline?」。ものすごく短い疑問文だ。何だっけとちょっと考える。「United domestic」とか答えて乗る。バス運転手はこれまた陽気なおじさんで、んじゃまずターミナル1に止まるよ、とか言っていた。それを聞いて勘違いした日本人のおじさんが「コリアン、コリアン」とか必死に言っていた。おそらく「まずはじめに」というところが聞き取れなかったのだろう。

ターミナル6で降りて、ユナイテッドのファーストクラスカウンターへ。国内線なのに、なぜか国際線カウンターでチェックイン。エコノミーは凄い行列だったが、ファーストは当然誰もいない。チケットは金色のケース。

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ファーストクラス=金色という考え方

手荷物検査も、エコノミーは長い列になっていたが、ビジネス以上は別の列。待ち時間なしで受けられる。上着を脱ぎ、時計をはずし、靴も脱いで、検査を受ける。ラウンジに入るも、朝ということもあってか、かなり混雑していた。

搭乗も最優先。2Aに座る。座席は革張りで電動シート。大陸横断プレミアムサービスといっても、まぁ普通に小さい飛行機に詰め込まれている印象だ。オレンジジュースを飲みながら離陸を待つ。ロサンゼルスからニューヨーク、4000kmの移動だ。離陸すると、土色の乾いた感じの風景が広がる。

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中西部、幾何学模様の畑。このあたりかな。

メニューを渡されるがほとんど選択の余地はない。朝食は玉子、ポテト、アスパラガス、クロワッサン、フルーツ。うまい。今朝は睡眠不足だったので、途中気を失いそうになる。5時間半の飛行で、8時間半先の世界へ移動する。ここで寝てはいけない。
沢木耕太郎の深夜特急第2巻を読み終える。旅をしながら旅の本を読むのは実に楽しい。
到着前の軽食はチーズ+フルーツ。チーズがうまい。この飛行機ではちゃんとしたスターバックス・コーヒーも飲めるということだったが、コーヒーという気分でなく、紅茶を頼んだ。
途中海のようなところを通ったが、あれはひょっとすると五大湖だったか。

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大陸横断プレミアムサービスの軽食

枕をひざに置いていたら、また寝そうになった。
ファーストクラスには2人の乗務員がいた。1人は「おまえ英語も聞き取れんのか」という態度、もう1人は「ああ早く言いすぎたかしら」という態度。結局サービスは人なのだ。
アメリカで食事のサービスを受けるとよく「enjoy」と言われるが、この始めの「en」がほとんど聞こえない。「ジョイ」としか聞こえないのだ。楽しめというかまぁ、ごゆっくり、と言った意味か。
着陸。この昼間の5時間半の移動なら、わざわざファーストクラスを選ぶ理由はないと思った。

荷物を受け取り、空港内を移動する鉄道を目指すと、白タク運転手が声をかけながら近づいてくる。「どこへ行くんだ、どこへ。おいちょっと待て。どこに行くのか教えろ。」という感じで。エレベータに乗るまでずっとついてくる。
とにかく自分は鉄道に乗るのだと明確な意思をもって進み、無視するに限る。
特にアジア系の人を狙っているようだ。かわいそうに、日本人の女の子たちがひっかかっていた。ふっかけられないといいが。乗るなら黄色いタクシーに乗らなきゃ。でもそれも人生だ。何事も経験だ。

地下鉄ではメトロカードを買って、20$ほど充填した。自動販売機には日本語の表示もあって分かりやすい。ニューヨークは縦長なので、地下鉄の行き先も、クイーンズ方面か、ブルックリン方面ということになる。
Howard Beach駅からA線に乗って、Nostrand AvenueでC線に乗り換え。約1時間で、ブルックリンのB&Bに到着した。B&Bとは、Bed and Breakfastという意味で、朝食つき民宿といった感じのものだ。余った部屋を貸しているという感じのところが多い。トイレ、風呂は共同が基本だが、とにかく安い。朝食の心配をしなくてよいのも旅行ではありがたい。

もうすっかり夕方なので困惑する。今日の数時間が失われたような印象だ。やはり東回りの地球一周は辛いか。
ちゃんとはやく眠れるように、宿の周辺を倒れそうになるまで歩く。
危険な街で夜は歩けないのではないかと思っていたが、まったくそんな雰囲気はない。とても安全な街だ。想像とは全く違う。これがジュリアーニ元市長の功績なのか。

オーストリア料理の店に入り、ディナーコース17$。オーストリアビールに、トマトスープとミートローフ、デザート。うまい。店員の兄ちゃんがいい人だった。

宿は床がきしみ、とても狭い部屋だったが、寝るにはなんの不自由もない部屋だった。

朝8時に起きる。時差の関係でどうも早朝に起きた感じだ。
B線に乗り、アメリカ自然史博物館に行く。恐竜の化石で有名な博物館のほうには今度行くとして、付属のローズ宇宙センターに行く。巨大な球体が真ん中にある建物だ。

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アメリカ自然史博物館 ローズ宇宙センター

巨大な球体が太陽をあらわしていて、まわりに太陽との大きさの比をあらわす惑星が下げられている。こう見ると太陽はあまりに大きい。
この球体の下半分は、ビッグバンの解説エリア。お椀型のスクリーンを上から覗き込むようにしてみるのが面白い。見終わったあと、下に下りてくるらせん状のスロープは、一歩が1000万年くらいになるように作ってあり、宇宙の歴史が書かれていた。

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拙訳「30,000年の人類の歴史の長さは、宇宙という道の端の、1本の髪の毛ほどの幅に過ぎない」

球体の上半分はプラネタリウム風になっていて、もの凄いCGで、ものすごい演出。しかもトム・ハンクスがしゃべってるので映画のようだった。
これなら日本科学未来館も負けてない感じだ。

球体の下には、閉じた生態系の展示があった。これはスキップの鈴木さんの机の上に置いてあったやつの巨大版だ。凄い。

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EcoSphere

ちょっと解説が必要だろう。このガラスでできた球体はただの水槽ではない。完全に閉じていて、外の世界から隔離されているのだ。中に入っているのは、空気と水、小さい海老、藻、サンゴ、貝殻、砂利だ。
この球体に必要なのは外からの光だけ。光と水中の二酸化炭素によって、藻が光合成をして酸素を発生させる。海老は、酸素を呼吸し、藻を食べ、二酸化炭素と排泄物を発生させる。排泄物は水中のバクテリアによって分解され、藻の栄養分となる。この閉じた世界の中ですべてが循環している。海老は数年間生き続けるという。
ちょうど宇宙の中の地球のようだ。もっと地球に近づけるために、森林の伐採をし、大量の温室効果ガスを排出する人間に相当するものを仕込む必要があるが。

博物館の食堂で、スタジアムホットドッグとサラダを食べる。食べている間中ずっと悩んでいたが、あれを買うことにした。EcoSphereの小型版だ。これからまだドイツに寄って、地球を半周するというのに、どうかしている。単なるこわれものではない。海老に砂利がぶつかったりしないように、慎重に運ばなくてはならない。

EcoSphere、つまり海老を持って、セントラルパークを歩いた。アルトサックスを演奏している人がいて、1ドルを投げ入れた。息継ぎのところで不意に「Thank you」と言ってきてびっくりした。
セントラルパークは、芝生がきれいで、大きな木の枝が歩道の上まで伸びている。案内板がほとんどないせいで、森の中を歩いているようだった。これだけの都会の中に、こんな空間があるとは。

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セントラルパーク

2時間くらい歩き回って、公園を出て、街をさまよいつつ、タイムズスクエアへ。現金が少なくなったので、ATMでお金を引き出す。Citibankの外貨引き出しカードは本当に便利だ。tktsでオフ・ブロードウェイのSTOMPのチケットを半額で買う。手数料は3ドル。安い。
ブロードウェイはミュージカル好きにはたまらないだろうが、僕にはちょっと敷居が高い。オフ・ブロードウェイは、小規模で値段も安いので気軽な感じだ。さらに小規模で実験的な色合いの強い、オフ・オフ・ブロードウェイというのもある。

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当日のチケットを半額で発売するtkts

STOMPまでの時間をつぶすため、SOHOに向かう。よさげな店がならんでいた。クレート&バレルには、僕好みの食器が山のようにあった。ヨーロッパ風だが、アメリカ的実用性も兼ね備えていて、値段も高くない。いくつか買いたかったが、海老をすでに手にぶらさげていて、こわれものをこれ以上持ち歩けない。

地下鉄の構内に特に放送はない。ホームで待ってると、まずレールが鳴り出す。レールがずれているような音がする。電車がやってきてドアが開く。人が乗ればドアがしまる。唯一の車内放送は止まったときだ。ものすごい速さで駅名と乗り換え情報を言っているようだったが、全然聞き取れなかった。
車両のブレーキの制動がそれほどよくないようで、いつも非常ブレーキみたいなとまりかたをする。
日本の電車は、ホームで待っているときも、電車が発車したあとも、走っているときも、到着するときも放送まみれで、その上音楽も鳴ったりして、この街の地下鉄に慣れた人にはかなりうるさいのではないかと思った。

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地下鉄の行き先案内

一旦宿に帰る。かなり冷えてきたので一枚厚着をしてSTOMPへ。
客をひきつける演技、演奏だった。たった一言もしゃべらないので、英語が全然わからない人でも楽しめる。
近くにあった暗い雰囲気のインド料理屋に入る。チキンカレーとナンと水を頼む。
どこから来た、何しにきた、日本で何している、アメリカははじめてか、どこに泊まっているのかなどひっきりなしに聞いてくるインド人だった。カレーはうまかった。

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地下鉄の構内の掲示。今の日本にも必要なことだ

23時を過ぎたので、電車が途中の駅までしかいかず、別の電車に乗り換えて宿にたどりつく。次の電車があと何分後にくるかなんてわからないという状況で待つ。でも、まぁそれでもいいかと思った。宇宙の時間の長さを感じた。

D線でMoMAへ。日本人建築家・谷口吉生によるもので、2004年に完成したばかり。概観はグレイガラスと漆黒の御影石。周囲と調和しているといえないこともないが。
20分ほど列に並び、荷物を預け、中に入る。興味を覚えたものだけじっくり見る。

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階段の一部が切り取られて見える構造

ところどころ、子供と引率者たちの集団がある。絵の前に集団で座り込んで、さてこれを見て何を感じる?とか聞いているのだろうか。
頽廃絵画としてナチスの迫害を受け、第一次大戦に参加したことが原因で、神経麻痺になり、58歳で自殺。まさかそんな話をしているわけではないだろう。

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キルヒナーの「街」の前の集団

昼時をやや過ぎたので、館内のカフェの列にならぶ。すると老夫婦が話しかけてきた。日本人の方ですか?
混んでいるし、一緒のテーブルで昼食をどうですかと誘われた。会社を辞めたこと。世界一周をしていること。E3に行ってきたことなんかを話した。お年を召していらっしゃるのに、ゲームの話にも耳を傾けてくださる。E3もご存知でびびる。新聞で得た知識ですと謙遜されていたが凄い。
気が付いたら、世の中に殺戮もののゲームがあふれていて、なんとかしたい。でもほんとは外で遊ぶのがいいと思っている。それがだめなら積み木とか。でもいまさらゲームなしというのは難しいし、頭を使って平和で楽しいゲームを作りたい、と何の脈絡もない話に力が入っていた。
しかしなぜかこんな話に、思いのほか共感してくださり、なんとMoMAのカフェのランチをごちそうになってしまった。途端に恐縮してしまった。次のゲームは孫に買ってあげたいのでぜひ連絡してくださいとのこと。住所を書いたメモを交換する。
ニューヨークに10日間滞在する旅行の途中のようだ。MoMAの近くにホテルをとってあるそうで、うらやましい。演劇を見たいのだけれど、言葉が心配、とおっしゃっていたので、1つしか知らないSTOMPをお勧めし、丁重にお礼を言って、その場を後にする。
美術館には、ところどころ外が見える空間があって、それがなんともほっとする感じでよかった。

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古い建物の工事現場を眺める人々

どんよりとした天気のせいもあってか、アルバート・ジャコメティの細長く、痩せた、寂しい人間像が印象に残った。
MoMAショップに行く。あれもこれも買うかと思っていたが、結局何も買わなかった。商業色が強すぎたのだと思う。

地下鉄でグラウンドゼロへ。ニューヨークは雨だった。都心に巨大な空間が空いている。公園でもなんでもないどうしても不自然な空間だ。まわりを一周してみると20分くらいかかった。

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現在も修復工事中のグラウンドゼロ付近のビル(左手が跡地)

かつてここに巨大なビルがあり、人が働いていて、そこに人が乗った飛行機が衝突し、すべてが崩壊したということを想像するのは難しい。
付近のオフィスからは、帰宅を急ぐ人が地下鉄に向かって足早に歩いている。まるで何もなかったかのようだ。

夜は中華料理をデリで調達。春巻きとカニチャーハンにした。カニがカニカマでがっかりだ。

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デリで買ってきた夕食

ところで、ニューヨークはデリだらけだ。日本のコンビニのような感覚なのかもしれない。たぶんデリというのはデリカテッセン(調理済み食品)の略だと思うのだが、日本のデパチカの秤売り惣菜屋のような感じだ。ニューヨークのデリは、デパチカのように気取ったものではなくて、もっと生活に溶け込んだ感じだ。さすがニューヨークだけあって、中華、インド料理、イタリア料理など各国のデリが軒を連ねる。世界中の料理が食べられそうな勢いだ。
夕食をデリで買って帰る人も多いようで、紙袋を持った人をよく見かけた。

寒すぎるので、ちょっと早いが寝ることにした。

寒いし、朝のうちは宿でゆっくり過ごした。
海老は元気だ。海老を連れてドイツに行こう。

ニューヨーク地下鉄の改札は、カードを通すタイプだ。クレジットカードを機械に通す感じ。速すぎてはエラーになって通してもらえない。適切なスピードでカードを通すと、GOと表示が出て、回転バーを押して入る。結構アナログだ。この地下鉄に慣れた人が、Suikaを見たらびびるだろう。東京メトロもがんばらないと。

地下鉄A線は、快速運転だ。車掌は発車すると、やれやれといった感じで乗客のいる座席に座りにやってくる。駅につくと、やれやれといった感じでドアを開けにいく。これは仕事で、これが人生のすべてじゃないんだよね、と言いたげな感じだ。

ニューヨークJFK空港の、ルフトハンザのターミナルに行く。まだ日本に帰らないのだということを実感する。ルフトハンザのファーストクラスカウンターへ。笑顔がすばらしい。英語も聞き取りやすい。ドイツ人のしゃべる英語はわかりやすいのだと思う。

ラウンジに行くと、カーテンの奥に、暗い感じの、ファーストクラス乗客専用の部屋があったが、外の飛行機が見たかったので、普通のラウンジの席に座って搭乗時刻を待つ。窓の外には出発準備中のエールフランス機。ああヨーロッパに行くのだなと思った。

ファーストクラスの乗客から搭乗開始。座席の配列は1-2-1で、つまり両側の窓の席は独立したシートになっていて、隣がいない。

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各席にバラの花が

前には低い壁があって、まわりの乗客が何をしてもほとんど気にならない。白と紺を基調にしたインテリアは、黄色がアクセントになっている。
渡されたおしぼりにかすかに匂いがついている。細かい。
水を飲みながら、メニューを見る。乗務員があいさつに来る。非常に丁寧なあいさつだ。ユナイテッドの時の威圧的な感じが少しもない。
英語を母国語とする人と、そうでない人の差とはいいきれない何かがある。

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独立シートはすばらしく心地よい

夕食だ。テーブルクロスが敷かれ、飲み物はスパークリングワインを頼み、前菜は5種類から3つ選んでみた。日本そばがサラダ仕立てになっていてびびる。うまかった。ああこれがヨーロッパか。繊細だ。
もう、エコノミークラスの1枚のトレイに全部乗った機内食が思い出せなくなりそうだ。やばい。
メインは4種から選択。毎月29日にニクを食う「29の会」の隊長として、当然ニクを選んだ。牛だ。

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最高にうまかったニク

直方体のサーロインに、すばらしいソース。紫キャベツの付け合せ。火の通り具合が絶妙で、とても機内食とは思えない。機内で熱を加えることまで計算しているのだろうか。とにかくあまりに素晴らしい料理だったので、赤ワインを頼み、ゆったりとした時間を楽しむ。
食後にはケーキとコーヒー。チョコレートを2粒。食いすぎだ。このチョコレートがまたいかにも高そうな箱に入っているのだ。

フルフラットシートの感じは、現在第1位だ。スリッパは足をつつみこむタイプのもの。
見た目はいまいちだが、履き心地はなかなかいい。
左側に小さな収納があり、右側に本が入れられるくらいの収納。右後方に水のペットボトル入れ。使いやすいデザインだ。寝るのがもったいない。

朝食をどうするか、寝る前に聞かれる。現地到着は朝の5:40なので、なにか腹に入れておく必要があるのだろう。軽めでお願いしたいと言うと、フルーツ中心のダイエットメニューというのをすすめてくれた。まぁ、名前はあれですが、それでお願いしたいと。

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地平線と思われる線より下に落ちていく夕日

実は、最初の予約の時点では、この直行便には空席がなかった。仕方なくユナイテッドのロンドン行きと、ロンドンからフランクフルトのルフトハンザ便を乗り継ぐように予約しておいたのだ。何日かごとに嫌がらせのようにANAの特典予約デスクに電話をかけていたら、ある日この直行便に空席がでていたのだ。あわてて押さえてもらった。

あきらめずにルフトハンザのファーストクラスにしておいてよかった。そう思いながら、大西洋の夕暮れを眺めつつ、沢木耕太郎を読みながら、うとうとしていくのだった。

ニューヨークからドイツは7時間半かかる。ロサンゼルスからニューヨークは5時間半なので、それよりちょっと距離がある。うとうとするが、やはりファーストクラスでは寝ることができない。
そういえばエコノミークラスの乗客の時は、完全に荷物扱いだったので、見張られているという感じは全くなかったし、すぐ前が座席なので、ある意味個室の壁のようだった。寝るといっても、座っている状態で固定されているので、寝相が悪いなんてことは皆無だ。
ところが、ファーストクラスは人間として扱われている。1人あたりの空間も広い。フルフラット状態で本当に寝てしまうと、とんでもない醜態をはっきりさらしてしまう可能性があるのだ。
そういう「見られている」緊張感のようなものが常にあって、おちおち寝ていられない。あるいは僕が雑念まみれだから寝ることができないだけなのだろうか。

うとうとしていると、ミスターshおはようございます、朝食の時間です、と起こされた。しかしファーストクラス全体に朝が来るのは、降下がはじまった頃だ。ぎりぎりまで暗くしておき、快適な眠りを提供するのがファーストクラスなのだ。
エコノミーなら、問答無用で起こされ、朝食が配られても着陸までしばらくあるだろう。

朝が来て、20分くらいで着陸。降下中にチーフパーサーから丁寧なあいさつが1人1人にある。プラハが素晴らしい街なのでぜひどうぞ、もちろんドイツもいいですよ。よい旅を、と言われた。ルフトハンザはいいなーと思った。これは決められたサービスというより、客室乗務員の気持ちや考え方の問題だ。この航空会社は、きっとエコノミーでも満足度が高いに違いない。

05:40到着。夜がなくて、また朝かよという感じだ。早朝なので、入国審査官はわずかに2人。パスポートを見て、だまってスタンプ。5秒くらいだ。やはりアメリカは異常と言わざるを得ない。

日本を出るときにドイツの気温を調べたら13度とか書いてあったので、セーターを着て降り立ったのに、実際は熱帯夜明けのような暑さ。意味がわからないままTシャツに着替える。それでも途中で寒くなったときのために上着を持っていくことにした。
海老入りEcoSphereをトランクケースに慎重に入れて、空港のストレージサービスへ。トランクケースの中では心配だが、ライン川に海老は連れて行けない。

手持ちのドルをユーロに両替し、鉄道のサービスカウンターでジャーマンレールパスを購入。セカンドクラスでファイブデイズよろしく、というだけだ。いろいろ注意事項を話してくれるが、やはり聞き取りやすい、わかりやすい英語だ。
ジャーマンレールパスに、今日の日付27/05をボールペンで書き込んで、近距離線ホームへ。しかし空港内と違って、そこはもう容赦ないドイツ語だらけの世界だった。

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慣れが必要な発車時刻表

駅に改札はない。代わりに、車内改札が頻繁に行われる。そのとき切符を持っていないと凄い罰金を取られるらしい。列車は静かにやってきて、静かに出て行く。1等車と2等車は、それぞれ車体に大きく数字が書いてあってわかりやすい。
07:20 Frankfurt Flughafen駅出発。2階建て車両の1階に座る。ローカル線の準急のはずなのに、ものすごく静かな加速、減速をする。しかもカーブが少ないのか、1本のレールが長いのか、ガタンゴトンという例の音があまりしない。ドイツの鉄道技術も相当なものと感じた。

長い1日のはじまりだ。朝になって、気温は思ったより高め。ニューヨークが寒すぎた。緑が多いし、レール沿いには花が植えてあったりする。間違いなくアメリカではないどこかに来たことを感じた。

コブレンツ到着。ここからライン川下りを6時間ほど楽しんでから宿に向かう計画だ。川に向かって歩くと船着場があった。窓口の人に聞くと、レールパスを持っているので、切符はいらないとのこと。桟橋から船に乗る。
船は、お台場や葛西でも見かけるような2階だての遊覧船。決定的に違うのは、1階にビールグラスがずらり並んだコーナーがあるということ。乗客が朝からめちゃくちゃ飲んで凄いことになるのでは、と思っていたら、意外にみんな水とかコーヒーとか注文していた。がっかりだ。

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古城が普通に存在している

3時間くらいおとなしくしていたが、昼になったのでビールとソーセージとフレンチフライを注文。ソーセージはわりと普通だったが、じゃがいもが異常にうまい。
端数をチップとして渡す感じでいいらしいのでそうしてみた。遊覧船の中にアジア人は僕一人だった。それがビールをぐびぐびやっていたのでとても浮いていたと思う。

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ドイツビール+ソーセージ+フレンチフライ

小学校の時に音楽で習った「ローレライ」を通過するが、特に感動することもなかった。ビールがうまかったのだ。しかも夏の日に徹夜明けでビールを飲んでいるようで、めちゃくちゃ眠くなった。

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斜面に畑がある。美しい

目的地ビンゲンに到着。ここに鉄道の駅があると思って降りたのだが、hbf(中央駅)ではなく、小さな駅だった。ホームでかなり待って、各駅停車でマインツに向かう。マインツからフランクフルト空港行きに乗る。果たして海老は無事か。
海老とトランクケースを受け取り、フランクフルトからICEに乗る。ICEは、新幹線みたいな列車だが、レールパスがあれば追加料金なしで乗れる。席の上のデジタル表示を見て、予約が入っていれば指定席、表示がないか、表示があっても乗客が見当たらなければ自由席という扱いだ。

金曜日(日本時間では土曜日)ということもあって、車内は混雑していたが、持ち前の観察力を使って素早く席を確保した。また眠くなるが、ガムと水で凌ぐ。
ニュルンベルグhbfに到着。ここから各駅停車で2駅くらいのところに宿があるのだが、どこ方面の電車に乗ればよいかがまるでわからない。一旦ホームを離れ路線図を見て行き先を確認するが、そもそも読めないし、眠すぎて短時間の記憶ができないので苦労した。国際線で移動したその日に激しい移動のスケジュールを入れてはならないと思った。

S2かR5の線に乗れば行けると分かり、S2R5、S2R5と、念仏のようにとなえつつホームへ。すぐに来たR5の列車に乗ってみた。しかしそれは期待していた各駅停車ではなくて、止まらない準急列車だった。かなりの距離を行き過ぎてから列車を降り、各駅停車S2で引き返す。
長旅の末にようやく宿に着いたのが18時だった。顔を洗って、少し休んで19時。外はまだ昼のように明るい。

近くの湖のほとりを散歩し、眺めがよさそうなレストランに入る。メニューを見てもドイツ語なので全くわからないし、お互いが片言の英語という悲惨な状況。
僕は欲しい。スパゲッティボロネーゼと、サラダと、ビール。ジェスチャーを交えて必死に訴えると、分かった、という顔をして奥に行った。
すると注文どおりのものが出てきた。感動的だ。しかしやはりスパゲッティはゆですぎだった。ボロネーゼは、イギリスの時同様、煮込みうどんのようになっていた。それでもいい。望んだものが出てきたのだから。
それにしても、小さい子までドイツ語をしゃべっているのでびびる。その国の子供がその国の言葉をしゃべっているのは、当たり前のことなのに。

宿に戻り、海老を調べたら全部生きていた。ニューヨークのX線検査官は「この海老はドイツに着く前に死んじゃうと思うよ」と言っていたから、なおさら感動的だ。

どうやらドイツはここ何日か異常気象で暑いらしく、Tシャツが必要となったので、眠くてたまらない中、洗濯して干してから寝た。寝たと書いたが、本当は洗濯をはじめた頃から記憶がない。

朝食のチーズがうまい。なんという名のチーズなのかさっぱりわからないが、出てきた5種類くらいのチーズは全部うまかった。ここがドイツだからそう思うのか。それとも本当にうまいのか。それが分からない。この価値感が歪む感じがたまらない。
ゆでたまごはまず上をナイフで切り取り、それからスプーンですくって食べるのだと教えられた。ゆでたまご立てがどの家にもあるという。これはこれで食べやすかった。

出かけようと思ったが、休日なので電車がびっくりするほど少ない。極端に減るのだ。いきなり遠出をしてもよかったのだが、せっかくなのでニュルンベルグを隅から隅まで見てみようと思った。各駅停車でニュルンベルグhbfに行く。ニュルンベルグは城壁で囲まれた都市だ。駅からの地下歩道を抜けるともう城壁の中だった。

ドラクエのアレフガルドにあったメルキドという城砦都市を思い出す。しかし、ニュルンベルグにはゴーレムを倒さなくても入れたし、「うわさでは、ロトのよろいは人から人へ」と教えてくれる人もいなかった。
街はすべて石でできていて、あのバーガーキングまでが、昔からそこにあったように見える。

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バーガーキング城

街の奥にあるカイザーベルグ城に入る。城の1階でチケットを買って、塔にのぼる。何しろ塔にのぼるなんて、ドラクエ2以来のことだ。そういえばあの時も近くにあった城の名前はムーンブルクだった。ドラクエの街の名前のネーミングなど、大人になってから作者の仕事の細かさに気づくということは、世の中あまりに多すぎる。

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城の塔から見たニュルンベルグ

それはあまりに美しい風景だった。しかも、歴史的な建物をただそのまま保存しているだけではない。テーマパークでもない。観光用に残してあるのではなくて、生きて機能しているのだ。
京都に行ったときのことを思い出した。ヨシオカ氏と南禅寺の三門(山門)にのぼり、「絶景かな」と言おうとしたが、そこからの風景にはなんと高層ビルがあったのだ。一体どういうことなのか。

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自転車で出かける親子

街中にサッカー選手のオリバー・カーンみたいな人がうようよいる。暑いせいか、みんなカーンに見えてくる。
スペイン人の観光客に声をかけられて、写真撮ってくれと言われる。どこから来た。日本だ。東京か京都か。東京。俺は京都になんとか君という知り合いがいるぞ。じゃあな。
そんな会話だった。
アジア系の人にも声をかけられた。どこから来た。日本だ。おお、俺は台湾だ、おまえも撮ってやろうか。
そんな会話だった。

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教会前の広場の果物屋

木のおもちゃ屋に立ち寄る。田川ラメ夫さんにせがれ殿が誕生したということを聞いていたので、木製の赤ちゃん用おしゃぶり落下防止ストラップを買う。最初はその商品が何なのかわからなかったが、店員の必死の説明で分かった。説明にはドイツ語もかなり混じっていたが、会話は気持ちだ。

街の温度計を見たら32度だった。異常だ。冬のニューヨークからいきなり夏に来たようだった。あまりに暑くて昼食をまともにとる気がしなかった。アイスコーヒーと、アイスクリームにした。アイス4玉とフルーツのパフェのようなもの。全部食べてしまった。普段なら考えられないことだ。

テラス席からは教会が見える。時報代わりに鐘がなる。毎時15分には1回、30分には2回、45分には3回鳴る。0分にはちょっと豪華なやつが、12時にはめちゃくちゃ凄いやつが鳴る。鐘の音で時刻を知るなんてうらやましい。

ぶらぶら歩いていたが、夕方6時になったので、外はまだかなり明るいが夕食とした。ソーセージとポテトとザワークラウト(酢キャベツ)、サラダとビール。今日のソーセージは、この地域特有の短いニュルンベルグソーセージだ。これはうまい。

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ニュルンベルグソーセージ(本当は6本)

帰りの電車では車内放送が聞き取れるようになってきた。駅名らしき部分がわかる。降り口が左か右かもわかる。凄い進歩だ。同じことを何回も繰り返すというよりは、いかに問題意識をもって聞くかということだ。

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ワールドカップに向けて盛り上がっている

電車が暑い。30度、冷房なし。外にいたほうが涼しいのだ。5月だから冷房なし、という固定されたルールで運用されているのかもしれない。日本なら大騒ぎになるところだ。
歩きすぎているはずなのだが、この旅行は最初から歩きすぎてきたので、もうこれくらいではなんともない感じだ。
暑さでぐったりしながら宿に戻った。僕はよく人から植物のようだと言われる。駄目なときとそうでないときの差が見た目にわかりやすいということだろう。
シャワーを浴びて水を1本飲み、倒れるように寝た。

本当は今日はベルリンにでも行こうと思っていた。ベルリンにはユダヤ博物館など、気になる建築があった。しかし鉄道の時刻表を見ているうちに、僕がドイツの国土の広さを過小評価していることに気づいた。この国はあまりに広い。
ちょっとベルリンに行こうというのは、東京にいて、え?新幹線日帰りで福岡行くの?という感じなのだ。
明日はプラハに行くと決めているし、今日はニュルンベルグから1時間で行けるバンベルグに行くことにした。宿の主人の話では、第二次大戦で奇跡的に空襲を免れた街らしい。

ニュルンベルグから乗った電車はなぜか冷房が効いている。おお、さすがにこの暑さで冷房を入れる気になったかよしよし、と思いながら、快適な移動。バンベルグ駅で降りて、水を買い、教会の尖塔を目指して炎天下の中を歩き出す。

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街のどこからでも見える教会

ところがまっすぐにはたどり着けないようで、右へ左へちょっとまわり道になりながら歩く。普通はバスを使って移動するような距離だ。吊り橋を渡ったところで、たまらずアイスクリームを食べた。コーンの上にバニラアイス、さらにその上にチョコアイスを乗せる。買って1分もしないうちに、派手に解け始める。僕の想像していたドイツとはあまりに気温が違いすぎた。

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急流を上ろうとするおじさん

水を飲みながら坂を上り、教会に駆け込むと、そこはまるで冷房が効いているようにひんやりした空間だった。巨大な石の建造物の中では、そう簡単には気温が変化しないのだろう。13世紀の建造物の中で、荘厳な雰囲気に圧倒されながら、涼んだお礼に1ユーロばかり寄付をして駅に戻った。

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古い教会と新しい雲

地元の人は普通にテラス席で昼食をとっていたが、さすがに僕は外で何かを食べようという気にはならなかった。日陰というだけの駅の構内で、トマトとチーズのパンに、スプライトを頼んだ。スプライトがぬるい。
パンはうまい。旅行するたびにヨーロッパのパンをうまいと感じる理由もいまだに分からない。日本のパンとそんなに違いがあるとも思えないのだが。

バンベルグは川が印象的な小さな美しい街だ。ドイツのベネチアと呼ばれているらしいが、それはいい過ぎと思った。

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道路で遊んでよし?

行きの準急列車は冷房が効いていたので、めちゃくちゃ期待をして、帰りの電車に乗り込んだ。炎天下を走る鉄の塊に閉じ込められるのだけは勘弁して欲しいと心から願っていた。
しかし冷房はなかった。開け放った窓からは、焼けた枕木と石の香りが、生ぬるい風とともに流れ込む。汗だくになりながら温室列車で1時間弱、ニュルンベルグに戻ってきた。

ドイツ鉄道の窓口に行き、英語がほとんど通じない係員に当たる。
私は望んでいる。プラハ。行きたい。ラウンドトリップで。トゥモロウに。
レールパスを見せ、鉄道地図を開き、知ってそうな単語を1つずつゆっくり言うと、なんとか理解してくれたようだ。
すると、係員は地図上のある駅を指差し、何かを伝えようとしている。
ボーダー、ボーダー。どうやら国境の駅であると言っているようだ。
ここから、プラハまでのチケット、アイ・ギブ・ユーと言っている。なるほど、チェコの区間のチケットをここで発行してくれるということか。オーケー、オーケー。
無事チケットが発行される。
3ユーロ20セントというから、異常に安いなと思いながらも差し出す。
すまない、英語を間違った、30ユーロ20セントだ、とおっしゃる。凄い間違いだ。
ともかくプラハ行きのチケットは無事手に入った。駅の両替屋で、ユーロをチェコの通貨コルナに両替する。紙幣のデザインがすでによすぎるではないか。期待が膨らむ。

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赤いドイツ鉄道

宿に戻り、おととい行った湖畔のレストランに向かった。バテ気味だったし、あれでいいやと思ったのだ。煮込みうどんでいいやと。
スパゲティとカプレーゼを頼んだ。カプレーゼを頼んだときに、片言の英語で、You hungryと言われたので、Yes I'm very hungry. と返して、その場がなごんだ。でも後から考えるとたった2品だ。2品頼んだだけでハラペコと判断されたのも不思議だ。
それから、黒くないビールをどうやって頼むかが課題だったが、あちこちでビールを頼んでいるうちに、ジョッキには黒いビールが入っていて、細長いグラスには黒くないビールが入っていることが観察できていた。つまり、ジェスチャーでグラスの形を指定して、ビールの種類を暗に指定したのだ。この作戦はたいへんうまくいった。

腹ごなしに湖畔を一周する。しかしあまりに巨大な湖だっただめ、腹ごなしというよりは、しっかりとしたウォーキングになってしまった。3日連続の真夏日ですっかり日焼けした。

夜、宿でテレビをつけた。テレビを見るのは久しぶりだ。
ドイツ語なので、全然意味は分からないが、アメリカナイズされた食生活のせいで肥満が増えている、という番組はなんとなくわかった。
次に、侍の格好をした司会者が出て日本の紹介をしている番組を見た。凄い誤解か、またはかなりの悪ふざけと思った。
そして、全員がバイクに乗ってサッカーする番組を見ていると、さすがにうとうとしてきたので、ベッドに向かった。
その夜、かなり妙な夢を見たことはいうまでもない。

朝7時前に出発。ニュルンベルグ中央駅の行き先案内板には、2つの行き先が書いてあった。この列車は途中の駅で切り離され、行き先が2つに分かれるやつだ。気をつけないと。
出発まで時間があったので、中央駅の2階のカフェでパンとカフェオレ。それにしてもいちいちパンがうまい。
ホームに行き、各車両の行き先を確認し、乗り込む。この列車で国境の手前の駅Schwandorfまで行く。朝なので冷房なし列車も快適だ。快適な気温で、景色までよく見えてくる。国境が近づくにつれて田舎の風景になっていく。ああ僕は今プラハに向かっているんだと思った。

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プラハ行きの車内

Schwandorfにやや遅れ気味で到着。ああ急がねば。乗り換えの時間はわずかしかなく、もう次の列車が出発する時刻だった。地下連絡通路を走り抜け、ホームに向かって階段を駆け上がり、そこに止まっていた列車に飛び乗ると、すぐに発車した。
なんとか間に合った。胸をなでおろす。もう国境の駅Furth im Waldはすぐそこだ。

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プラハ行きチケット

やがて検札に車掌がまわってきた。どこに行くのよと聞かれたので、プラハと答えると、車掌の顔が曇った。
残念ながらこの列車はプラハには行かない、あなたは後ろ3両に乗るべきだった、ということをドイツ語で言っているようだった。
ふと、振り返ると、なんと後ろにあったはずの車両がなくなっていた。さっきの駅で切り離されてしまったのだ。そんなー。

こうして僕の夢のプラハ行きの旅は終わった。はじまってわずか2時間半のことだった。
トーマスクック時刻表で他の経路を調べるも、夜着く列車しか見当たらず、断念せざるを得ない状況だった。つまり、ニュルンブルグからプラハに向かう一連の準急列車は、事実上1日1本しかないのだった。

プラハには今回は行くな、もっと時間をかけて来い、ということか。
国境に着く列車が乗り換え駅で切り離されてしまうとは。
観察魔のこの僕が、観察を怠ってしまうとは。
世界2周目できっと来てやる。プラハ待ってろよ。

こうして誤った行き先、Weidenに到着。皮肉にもチェコまでわずか十数キロというところだった。そこからニュルンブルグに戻った。
切符の払い戻しをして、両替したチェコ通貨をユーロに戻す。うちひしがれる。

ちょっと考えて動物園に行くことに決めた。ニュルンベルグ観光案内所に行って、動物園はどうやっていくのか聞く。トラムに乗って、Tiergartenまで行けといわれる。これが動物園をあらわす単語のようだ。
トラムの切符販売機の前に立つが、買い方がわからない。乗ってから買えばいいやと思っていたら、そのまま動物園まで行ってしまった。無賃乗車だ。心が痛む。

動物園は森の中にあった。係員用の窓を何度も寂しげに覗きこむゴリラ。背が届くか届かないかのところにある葉っぱを食べようと舌をのばすサイ。暑さにやられて伏している白熊。ひたすら毛づくろいをしているサル。えさ用のヒヨコに見向きもしないフクロウ。どこも時間の流れが止まっているように見えた。見られているのはむしろ僕のほうだ。

動物園のレストランで、またニュルンベルグソーセージとフレンチフライ。うまい。歩きすぎてふらふらだったのでビールは控えた。普段、草食動物のように野菜ばかり食べているのに、日本を発ってから2週間、ニクばかり食べている。食生活が完全に狂ってきているようだ。

レストランを後にし、トラやシマウマを見る。そして偶然、ある動物の出産現場を目撃する。うずくまって苦しそうなメス、まさに頭と前足が出てくるところだ。そのまわりを落ちかない様子で駆け回るオス。飼育員より先に、そのただならぬ様子に気づいてしまった。
しばらくして飼育員も気づいたが、特に何をしようということはなく、通常通り柵の中を掃除している。そうなることを知っていたのだろう。やがて見物人は6人ほどになり、みんな静かに見守っている。

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誕生直後

5分くらいで無事生まれた。生まれたらすぐに立つというのを知っていたので、引き続きしばらく見ていることにした。
アメリカ人と思われる夫婦は、「You can do it!」とか叫んでいた。そりゃできるさ。

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クララ(仮)が立った!

本当に20分も立たないうちに馬のような動物は立った。その後10分もすると、不安定ながらも歩き出した。凄い生命力だ。感動した。
これを見せるために、誰かが僕にプラハに行かせなかったのではないかと思ったくらいだ。(誰かこの動物の名前を教えてください)

急に気温が下がりはじめ、やがて雨になった。入り口近くの売店でコーヒーを頼み、すすりながら雨がやむのを待つ。すばらしい時間だった。

帰りのトラムは、乗車前に暇そうな運転手をつかまえ、中央駅まで行きたいと主張して、切符の買い方を習った。行き先コードを入力すると金額が表示されるところまではわかっていたのだが、どうやら近郊区間は別扱いになっているらしい。分からないはずだ。

中央駅に到着。ニクを食いすぎたという反省から、魚フライのタルタルソースがフランスパンにはさんであるやつを買う。フルーツ盛り合わせ2ユーロ分も買って宿に戻った。

ちょっと肌寒い、雨が降る薄暗い夕暮れ。
ああこれだ。やっと僕が想像していたドイツになった。

明日で世界一周も終わりだ。チェコを往復する間に読もうとしていた沢木耕太郎の深夜特急第4巻は、ついに読み終えることができなかった。

朝起きると、いかにもドイツらしい気温まで下がっていた。快適だ。一日中外を歩き回りたい気分だが、残念ながら帰国の日だ。
宿から徒歩でナチスの資料センターに行く。観光でここに来る人は少ないかもしれないが、ここは一見の価値がある。中は写真中心の資料館になっている。

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ナチス党大会場跡資料センター

ニュルンベルグは、第一回ナチス党全国大会が開催された場所だ。1935年、ナチスはユダヤ人を排除する計画を立法化してしまう。これがニュルンベルグ法だ。ヒトラーが発効させたこの法律によって、ドイツまたはドイツ占領地に住むユダヤ人の公民権が剥奪された。また、8分の1混血までをユダヤ人とした規定によって、ユダヤ人は「J」で分類、差別されることになり、ホロコースト(ユダヤ人などの大虐殺)へ続いていく。

第2次世界大戦でニュルンベルグは徹底的な破壊を受けた。人々は瓦礫の中から石を拾い集め街を再建する。つまり、僕が古くていい街だと思ったこの街のほとんどは、実は再建後100年も経っていないということになる。

そのナチス時代に、5万人を収容できる巨大建造物が、党大会会場として作られたが、ついに完成することはなかった。資料センターはこの建造物の隅に突き出すようにして存在している。
何気なく数日間滞在していたニュルンベルグ。ここはこうした人種主義、差別、戦争犯罪の記憶の中で、特別な責任を負いつつ21世紀を迎えている街だったのだ。

資料センターの出口に向かう通路は細長く、暗い。途中でちょっとだけ明るくなるがまた出口付近で暗くなる。闇、光、闇のこの構造に気づいたとき、出口を前にして思わず立ち止まってしまった。
こういうところを見ると、ぜひとも次はベルリンに行かねばならないと思う。

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トラム

宿に戻り、荷物を持ってドイツ鉄道の駅へ。やっと乗りなれてきたドイツ鉄道も今日で終わりだ。ニュルンベルグ中央駅で、コインロッカーに荷物を預け、身軽になる。空港行きの列車までまだ1時間もある。
ピザをひとかけ買い、かじりながら人々の往来を眺める。2階に上がって、カフェでカフェオレを頼み、1階の人々の往来を観察しながらゲームのメモをまとめる。駅には実にいろんな人が訪れる。30分観察し続けても飽きることはなかった。
それにしてもカフェオレかカフェラテかいつも迷う。

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空港行き列車。Würzbは、Würzburgの省略表記

時間になったのでICEに乗る。ニュルンベルグ始発だったので、簡単に座れた。沢木耕太郎を読み進めること2時間20分。フランクフルト空港駅に到着した。
長距離列車ホームから通路を進んでいくと、ルフトハンザか、それ以外か、という案内表示。この空港はルフトハンザ空港と言ってもいいくらいの支配感がある。

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トーマスクック・ドイツ南部鉄道路線図。プラハはあまりに遠かった

帰国便は待ちに待ったANAの新しいファーストクラスだ。ファーストクラスカウンターで荷物を預け、チェックインする。左の窓側を希望すると、座席は1Aだった。あれ、1Aは特別な人のために確保されている席ではなかったのか?ちょっと拍子抜けした。

手荷物検査場で、ニューヨークから連れてきた海老入りEcoSphereがひっかかる。係員がX線の絵を見て、何やら動くものがあったので、袋の中を真剣な顔でのぞきこんでいる様子だ。おかしい。係員は何か言いたげな様子だったが、ドイツ語で言っても無駄と思ったのか、そのまま通された。

ラウンジに入ってパンをかじり、バナナを食べる。エスプレッソを飲む。窓の外には世界各国の飛行機が行き交う。ゆったりとした時間が流れた。

ドイツ語には、ハとガ、ブとグ、オとボの中間のような変な音がある。地名もカタカナにしてしまうと完全に日本語になってしまうが、本当はフランクフルトは、フランフートと聞こえるし、ニュルンベルグはヌールンベーグと聞こえる。

それから1つの単語が異常に長い。何度も登場した「中央駅」は「Hauptbahnhof」(ハウプトバーンホフ)。一切空白が入らないからおかしい。区切り目を自分で見つけないことには理解が進まない。これが実に新鮮で楽しかった。
ちなみに「ドナウ川蒸気曳航会社船長」は「Donaudampfschleppschiffahrtgesellschaftskapitän」というらしい。
空白を入れない文化というのはおそろしいと思ったが、「蒸気曳航会社船長」と書いていて、日本語だって同じだと思った。

搭乗開始時刻の少し前にゲートに行くと、日本人だらけだった。日本に向かうのだから当然なのに、なぜか残念な気持ちになる。搭乗はファーストクラスとビジネスクラスの乗客からだ。エコノミークラス乗客からの、あいつらなんだよという視線がぐさぐさ刺さる。
飛行機に乗り込むと、1人ずつ席まで案内された。シェルタイプのシートだ。

資料:ANA New First Class Seat

倒すとベッドになる座席。長さは十分だ。もう少し幅があればシングルベッドサイズになるかもしれない。その座席を窓の高さくらいの壁が包み込んでいる。しかも今回の座席1Aは飛行機の先頭部分なので、前の席は存在しない。もちろん隣にくっついている座席もない。トイレは後ろにあるので、誰も横を通らない。これは席というより部屋だ。まわりの視線がほとんど気にならない。いいですな!1A!

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ほとんど個室のシート

席のはるか前に大きなテーブルと15インチのテレビ。その下からはダイニングテーブルも引き出せる。窓側にはカクテルテーブルがあり飲み物を置ける。側面にはパソコン用の電源もあるし、飛行機の騒音を打ち消してしまう特殊なヘッドフォンも装備されている。方向を自在に変えることができる読書灯、暗いときに足元を照らすフットライトもある。まるでホテルの部屋のような設備だ。

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ノイズキャンセラー機能付きヘッドフォン

反対の窓側の席には、どこかの会社の会長といった感じのお年を召した方が、お付きの人とともに搭乗してきた。お付きの人は会長氏(仮)のかばんを置くと、ビジネスクラスに移っていった。

フランクフルト空港を離陸後、ワインリストを見ながら、やっぱりスパークリングワインからはじめることにした。行きの飛行機でキャビアのうまさが分からなかった僕は、フォアグラも別にいいやと思って、和の前菜をとることにした。
一方、会長氏は、前菜をほんのちょっと食べ、白ワインを一杯飲んだところで早々と寝てしまった。まだ1時間も経っていないのに。

途中トイレに立つと、3Aの女性はどうやら作家らしく、着陸までずっと原稿用紙に向かっていた。僕には誰かわからなかったが、ファーストクラスで移動するとは、相当売れている作家に違いない。

メインの食事にも和食を選んだ。芋焼酎を頼む。機内で芋焼酎が飲めるなんて、搭載していない飲み物はないというほど充実している。

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ソーセージもポテトもない食事

ゆっくりと食事を取り、映画も1本見てくつろいだ。やがて機内が暗くなり、作家以外が全員就寝。僕も寝ようとすると、キャビンアテンダントさんが「ベッドメイクいたします」と。なにー。
椅子が倒され、そこにシーツが敷かれる。羽毛の枕に、シルクで包まれた羽毛ぶとん。機内の温度はすでに低めだ。これで寝ないわけがない。

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電動シート全機能

完全に足を伸ばして横になって移動するというのは、僕の体験が少ないせいか、非常に不自然なことに思えてくる。
一方、座りながら移動するというのは、自動車がそうだし、小さい頃から体験し続けているせいか、自然なことのように思えてくる。
これまで絶対にフルフラットで眠れなかった僕が、あまりの心地よさに本当に寝てしまいそうになる。しかしそれも束の間、後ろの2Aの人のいびきが凄くて寝れなくなる。ああ。僕はこういう星のもとに生まれてきたのか。

到着の時刻が近づき、朝食を取る。パン、フルーツ、ヨーグルトにジュース。食後にエスプレッソを頼んだ。
会長氏はお粥とお茶。それで十分なのだ。僕のように、せっかくだからあれもこれもという人は、このクラスにはいない。

成田空港に着陸。到着ロビーまではバスで案内される。この時、真っ先にファーストクラスの乗客だけが最初のバスに乗せられた。真っ先にターミナルに到着。入国審査も混んでないし、着陸からわずか20分後には、回転台で荷物を待つことになっていた。

しかし、最初に出てくるのは、VIPのタグがつけられた荷物。VIPは、ANAの係員がつきっきりでお世話をしている。会長氏はお付きの人とANA係員とともに早々に去っていった。

成田エクスプレスで東京へ。長い1日は続く。東京駅からよほどタクシーに乗ろうかと思ったが、振り返るとこの旅行では一度もタクシーに乗っていない。電車とバスを利用する暗黙のルールができていたのだ。
都バスに乗って家に帰る。さっきまでファーストクラスに乗っていたことなんてすぐ忘れる。

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ニュルンベルグで買ってきた木のおもちゃ

たった2ヶ国だが、15日間世界一周をした。無料航空券を使ってファーストクラスで移動するために旅行したといっても過言ではない。
競争の激化、経営合理化でファーストクラスを廃止する航空会社もある中、この時代の最高のファーストクラスで世界一周をしたと思う。そこは想像以上に贅を尽くした空間だった。

ANAでは、最上位と思われたファーストクラスでも、VIPと非VIPは明確に区別されていた。常連を優遇するのは当然のことだが、それをあからさまに見せつけられたような気がして、なぜか悲しい。上を見る悲しさを知った。

そしてこのクラスでは、サービスを断ることが普通だ。メニューに載ってないものを頼んだりする人もいる。
これには2通りの見方がある。
1つは、みんな見栄っ張りで、断ることで「乗りなれているのだぞ」と、お互いにけん制しあっているという見方。こう捉えると、くつろぎの空間のはずが、なぜかピリピリ緊張が張りつめているように感じられる。
もう1つは、飽きるほど乗っている人ばかりという見方。彼らにとって飛行機は、もう通勤電車のようになっていて、行き着くところは出来る限りの睡眠なのかもしれない。

いずれにせよ彼らは往復163万円という航空券を購入しながら、そこに用意されているサービスのほとんどをあえて受けずにいる。好奇心旺盛でかつ見栄が張れない子供には、信じられない光景だ。
僕は用意されているサービスのあれもこれも気になって仕方がない。せいいっぱい背伸びをしたところで、なんとも落ち着かない空間だ。
人には身分相応の享受すべきサービスがあるということなのだろうか。

しかしそうはいっても、ファーストクラスはエコノミークラスが思い出せないくらい美味しいもの、素晴らしいサービスが受けられるところだ。
もしなんらかの偶然でファーストクラスに乗ることになったら、まわりの雰囲気に惑わされてはいけない。他人がどうあれ、自分は自分の好きなようにすると決めて利用すれば、きっと楽しい旅になるに違いない。

(ファーストクラスで世界一周 おわり)

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