休日出勤するくらい忙しい時期に、ドラクエ4を始めました。このソフトが発売されたのは1990年2月。ドラクエ3まではクリアしているのに、なぜか4だけは、妹だか、友達だかがやっているところを見たとか、プレステ版を入院中に途中までやったとか、実に残念な感じでずっと気がかりでした。
DS版の発売に一瞬心が揺らぎましたが、ここはオリジナルのファミコンでやるべきと感じました。棚の奥からファミコンをひっぱりだし、テレビの裏につなぎ、接触不良と格闘し、十字ボタンの下が効きにくいという悪条件の中、ついに僕のドラクエ4は始まったのでした。
ドラクエ4と過ごす30代
どんなに残業でも、どんなに休日出勤でもドラクエ4は着実に進んでいます。そんな時間あったらActionScript 3.0のApplicationDomainクラスの勉強でもすべきなのでしょうが、こういうところでバランスをとっているのかもしれません。
相変わらずの休日出勤中ですが、そろそろ体力の限界、気力も無くなり、引退することに・・・などと言ってられないほど納期は迫りきています。
3章では、トルネコが拾ってきた武器や防具を奥さんが店で売るわけですが、奥さんの売値設定に見えるあまりに強気の商売に唖然としました。そしてついに4章に突入。それにしてものっけから凄いセリフが飛び出します。
普段はディレクション業務が中心ですが、このごろは、1制作者としてActionScript 3.0漬けの毎日を送っています。頭の中がメソッドやプロパティだらけですが、ドラクエ4はついに第5章に突入しました。勇者はあまりに弱く、魔物が怖くて遠出できません。
みなさんはきっと人生に必要なことはゼルダの伝説や、マザーで教わったと思いますが、僕はドラクエ3で僕は人生のなんたるかを教わった気がします。ドラクエ3がなかったら、世界を旅しようとか、イギリスに行ったついでにエジンバラに行こうとか思わなかったでしょう。ゾーマのセリフ「ふたたびなにものかがやみからあらわれよう だがそのときはおまえはとしおいていきてはいまい」にさえ心を動かされます。世の中には、善と悪の両方の世界が同時に存在していて、そのどちらが正しいとは必ずしも言い切れないこともあるのです。
もちろん、ドラクエ4にもいろいろと教わっているところです。
人生の何たるかを学ぶ冒険、ドラクエ4を始めて1年半が経ちました。1年半も探していたライアンとついに会うことができました。
ライアンを助けたあと、城の外で人間の姿のホイミンが言います。
「ライアンさまに どうか ぶじで たびをつづけられますよう おつたえください。」
ホイミンは1章で、「いまは ホイミスライムだけど にんげんになるのが ゆめなんだ。」と言っていました。夢がかなったホイミンですが、すっかり強くなってしまったライアンを見て、引き際と悟ったのでしょう。あまりに悲しくてゲームを続けられなくなりました。
モンバーバラの踊り子に「かたきうち がんばってね」と言われて、2年近く経ちました。バルザックを探す旅としては、あまりにも長すぎます。座長には「あせらなくても たびをつづけていれば きっと いつか みつかるさ」と言われましたが、あせらなすぎです。
間をあけすぎたために、サントハイムが世界のどのへんにあるか分からず、何時間も海をさまよいました。ついに見つけたバルザックは強すぎて、まったく歯がたちません。回復が大事だと思っても、ミネアではHPが少なすぎ、クリフトはなぜかザキを連呼し続けます。「めいれいさせろ」が作戦にない、ファミコン版ならではのつらいところです。
バルザックを倒して半年が経ちました。もはや何のためにどこに向かっていたかすら分からない状態です。世界中を船でさまよい、イムルに行き着いたときには、一行も僕もすっかり疲れ果てていました。ようやくガーデンブルグについたと思ったら、事件に巻き込まれ、牢屋に入れられてしまいます。しばらくして女王さまに呼び出され、
「わたしは このくにの じょおう。つみを おかしたものを さばかねばなりません。」
と言われます。ようやく地獄の帝王を倒すために旅していることを思い出したところなのに、濡れ衣を着せられた以上、疑いを晴らすのが先です。
ところで、恥ずかしながらこの「じょおう」に違和感を感じてしまいました。どうやら僕はずっと「じょうおう」だと思い込んできたようです。パソコンではどっちを入力して変換しても「女王」が出てきます。冷静に考えれば「じょうおう」が正しいはずはありません。
ひょっとしてと思って念のためドラクエ3を調べたら、ひかりのたまをもらうために竜の女王に会ったときの会話は、
「わたしは りゅうの じょうおう。カミのつかい です。もし そなたらに まおうと たたかう ゆうきが あるなら ひかりのたまを さずけましょう。」
となっていました。
3から4の間に気付いた人がいたようです。僕はよくも悪くもドラクエとともに育ってしまったようです。ドラクエ4を若い時にクリアしていればこんな勘違いは・・・。
35歳を過ぎてもなお、ドラクエから日本語を勉強しています。
ザキばかり唱えるクリフトのせいでなかなか先に進めなかったのですが、さくせんとして「いのちをだいじに」を選んだところ、最初のターンにスクルトを唱えるようになって、急に戦いやすくなりました。やればできるやんか。
しかしながら、アッテムトの鉱山はあまりに深すぎ、宝箱にはあまりにミミックが多すぎ、じごくのていおうはあまりに強すぎて、へとへとになりました。たいした武器もないのに、レベル30で挑むのは無謀すぎたのかもしれません。