サッカーと建築とうまいメシの旅

バルセロナに行こう、と言い出したのは、去年の春頃だったか。よく覚えてはいない。

バルセロナには、スペインサッカー・リーガエスパニョーラのチーム「バルセロナ」がある。僕が勤めている会社のグループ会社に、身にまとうものすべてを、サッカーチーム・バルセロナのグッズで揃えているくらいのバルセロナ好きがいる。彼のことを仮にフジワラ氏と呼んでおこう。バルセロナ好きといっても、別にガウディの建築に興味があるわけではない。ただそのサッカーチームだけに興味があるのだ。実は、僕も彼にすっかり影響されて、日本で行われる親善試合には必ず行っている。

フジワラ氏を数年見てきて、遠いヨーロッパの一都市のチームを心の底から応援していることを知り、僕は、それならば現地に一度行こうじゃないかと持ちかけた。はじめはなんとなくうやむやになっていたが、いや、これは行くしかないよと、それから何ヶ月もしつこく言い続け、どうせなら滞在中2試合くらい見れる時期がいいじゃないかということで、3月上旬に行くことに決定し、航空券を手配し始めてから、急に旅行の計画が現実味を帯びてきたのだ。

サッカーだけじゃもったいないと思い、タイトルを「スペイン、サッカーと建築とうまいメシの旅」として、参加者を募った。昨年E3旅行に行ったフジワラ氏、オカムラ氏、京都のヨシオカ氏に加え、サッカー好きのキヤ氏、新入社員3日目で欠勤して旅立つヤギュウ氏、弊社代表のクロイ氏の総勢7名という大旅団となった。

それぞれ手持ちのマイルを使ったり、格安チケットを買ったりして、航空券を手配した。僕は期限切れになるマイルを全部使ってファーストクラスのチケットを手配した。ANA便の空席待ちをしていたが、どうしても取れなかったので、ルフトハンザ・ドイツ航空にした。160,000マイルを一気に使って、ドイツ・フランクフルト経由の4枚の航空券と引き換えた。正規料金で買えば、163万円の航空券だ。移動するだけで163万円。あり得ない。

もはや航空券は送られてこない。メールに添付されたPDFファイルをプリントアウトして持っていくのだ。便利だけれど、なんだかあの航空券の束を手にしたときに感じた、旅のわくわく感がないなと思った。

さて、現地集合、現地解散の旅。果たしてうまくいくか。
全員が海外用携帯電話を持参して出発した。

成田空港のカウンターでは手間取っていた。予約が二重に入っているというのだ。ルフトハンザの予約と、ANAの空席待ち。係員もこんなことは初めてでどうしていいか分からないといった感じで、おどおどしていた。結局20分ほど待たされた。幸先良くない。

成田のスターアライアンス・ファーストクラスラウンジは2度目。ここに来るのもこの人生これが最後だろう。前回はただならぬ高級感の漂う乗客であふれていたラウンジも、今日はラフな感じの人が多くてジーンズの僕としては多少居心地がよかった。

さて、ルフトハンザドイツ航空のファーストクラスといえばバラだ。例のバラが座席の脇に置かれる。本日のシートは非常口座席。ここには非常時に使う脱出扉があるので、自分の1つ前のシートは遥か彼方にある。しかも今日は隣一列全部空席。こんな日もあるのですな。こうなるともう、広い部屋にいるようだ。

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空席だらけのファーストクラス

しかし、ここ数日の気温の変化についていけず、腹の調子が良くなく、せっかくの機内食もおいしくいただけない。残念。やはり旅行は万全の体調で望みたい。

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これでも前菜の一部だった気がする

映画も英語/ドイツ語のものが多くていまいち楽しめない。仕方ないので、司馬遼太郎の「峠(上巻)」を読む。「侍はこわい」以来、すっかり時代小説にはまりこんでいる。
機内で長袖のポロシャツをもらう。あとは歯ブラシ、保湿クリームなど。旅行にあったら便利なものは、なんでももらえそうな勢いだ。

ANAなら、この人はこういう風に機内で過ごしたいのだなと察して、先回りしてサービスしてくれる。ルフトハンザは基本的に放置で、要望を受けてから対応する。人は他人との接し方、時間のすごし方の温度感に好みがあるので、一概にどちらがいいともいえないだろう。僕はANAのほうが楽しいかなと思った。

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食べかけのデザートと紅茶のポット

長いフライトの末、ドイツ・フランクフルトには定刻どおりに着陸。乗務員から「snowy」と聞いてはいたけど、そこは一面の雪だった。積雪もある。これはなにかまずいことになる予感がした。
タラップ車がやってくるのに10分、バスがやってくるのにさらに数十分かかる。雪はさらに強くなり、ちょっと先も見えなくなる。これは空港全体が麻痺しつつあると察した。

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雪が降り大混乱のフランクフルト空港

乗り換えのためラウンジに向かうが、なんだかやたら人が多い。出発スケジュールの画面を見ると、ほぼ全便が遅れている。これは大変なことになってきた。オカムラ氏たちがいるオランダ乗換えの先発隊に、携帯から国際電話をかける。向こうは少しの遅れはあるけれど、順調なようだ。とりあえず数時間遅れそうだと伝える。
人が全然出て行かないので、ラウンジが人であふれ、立ったままの人も出てくる。ファーストクラスラウンジで座れないなんて、凄い状況だ。

このフランクフルト空港の出発便表示画面がよろしくない。キャンセル便を単にリストから消してしまうのだ。これでは、すでに出発してしまったのか、キャンセルになったのかが分からない。そこで、全ての人が自分の便がどうなったのか問い合わるためにカウンターに並ぶ。カウンターには50人以上の人がならび、非効率な感じだ。ドイツ国内線は全便キャンセルになったようだ。この分だと、滑走路はほぼ閉鎖されているのだろう。
ANAで飛んでいたはずのクロイ氏と電話がつながった。フランクフルトに降りれず、なんとパリにいるらしい。これは大変な旅になってきた。

30分も待って、ようやく僕の順番が来た。あなたの便はキャンセルされた。次の便もキャンセルされた。21時の最終便は運行予定だが満席だ。空席待ちをするか?と聞いてきた。するに決まってる。今日スペインに着きたいのだ。人によっては、さっさと諦めて近くのホテルを手配してもらう人もいた。賢明な判断だ。
15時にドイツに着いて、21時の便だ。6時間も空港にいると、さすがの飛行機好きでも飽きる。この様子だと、もっと早く、朝から待っている乗客もいるのだろう。
この辺りで日本時間では日付が変わる。めちゃめちゃ眠たいが最終便に乗るために油断できない。

ラウンジで提供されたスープを飲み、バナナを食べて、気合を入れて搭乗ゲートに向かう。そこはものすごい数の人であふれていた。係員はわずかに2人。それを囲むように100人以上の人たちが密集している。
フランクフルト空港で空席待ちをする場合は、ひたすら呼ばれるのを待つだけだ。情報は提供するものではなく、取りに行くものだという考え方に基づいている。しかし、それは国民性の違いから来ているものと思われる。鉄道のアナウンスも1つをとっても、日本はうるさすぎるほど行われるのに対し、ドイツはアナウンス自体がない。それが当たり前の国だから、それが文化なのだろう。詳しくは後日書くことにするが、ANAの国内線には実に素晴らしい空席待ちシステムがある。
さて、そういうわけで、手元に何か券があるわけでもなく、案内板もなく、当然それを確認できる画面があるわけでもないので、自分が空席待ち行列の何番目なのか、そもそも自分がコンピューターに登録されているかどうかも分からないため、係員を大勢で取り巻く状況は一向に変わらない。

やがて英語とスペイン語でアナウンスがある。君たちはコンピューターに登録されている。スターアライアンス・ゴールドの乗客から順に呼び出すので待ちなさい、とか言ってたと思う。でも、日本人の多くはこの速すぎる英語を聞き取れないため、聞き取れた人がまわりの人に教えるという伝言ゲームが始まる。
前の数便が欠航になったあとの最終便。この状況では、空席なんて出るのだろうかと不安がよぎる。予約の乗客が全て搭乗し、ついに空席待ちの乗客の呼び出し開始。なんと5番目に呼ばれる。思わず「はい!」と答えてしまった。思いっきり日本語だ。スターアライアンス・ゴールドメンバーの威力を初めて思い知らされた。まさか自分が乗れるとは。ここでこの便に乗れるのと乗れないのでは、ずいぶん旅のイメージが変わってくる。

結局空席は15くらいしかなく、残りは空港に取り残された。ゲートを通過した人たちは、まるで知り合いだったように、「本当によかった。お前もよかったな。」と、お互い片言の英語で呼びかけあっていた。思わず僕もそうしたほどだ。きっとこのあとも、カウンター付近はひどい騒ぎになったに違いない。
バスで空港内を移動し、搭乗してみると、僕の席はビジネスじゃなくて、エコノミーだった。この際、乗れただけでも十分だったが、乗務員に聞いてみると、バルセロナ空港でバウチャーを出してくれるはずとのこと。バウチャーって、なんだ?まぁ、ヨーロッパ域内の路線は、中型の飛行機でしかも短距離なので、ビジネスもエコノミーも大差ない。
窓側の席だったので外の様子がよくわかる。地面にも飛行機にも、そこらじゅうすごい積雪。機長からのスペイン語と英語のアナウンス。翼の上を除雪してからなので、出発までにかなり時間がかかると。機内がどよめく。

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翼に降り積もった雪

待てども待てども除雪車が来ない。機長によると、除雪車の順番待ちをしているけれども、この天気なのでかなり待ち行列が長いと。司馬遼太郎の「峠(上巻)」をひたすら読む。本の中でも雪の中、大変な旅が続いていた。機内食のサンドイッチが配られる。一気に場が和む。さらに、多くが陽気なスペイン人なのが幸いした。これだけ待たされても文句を言う奴なんて1人もいない。機内はなごみまくっている。

2時間くらいしてようやく除雪車が来る。はしご車みたいな車に乗った係員が、ホースのようなものを使い、水圧で雪を払った後、変な色の液をそこらじゅうに撒き散らした。一種の融雪材か。除雪が終わると、今度はプッシュバック待ちだ。飛行機は自分でバックできない。トーイング・トラクターという特殊な車を待たなくてはならない。さらに1時間くらい待たされる。
午前0時を過ぎただろうか。プッシュバックが始まると機内で拍手が起こる。その後ただちに離陸。飛べばあっという間だ。途中、コーヒーや紅茶のサービスがあった。バルセロナ・エル・プラット空港に着陸したのは午前2時ごろだったと思う。

多くの乗客が、手荷物を受け取るためにターンテーブルのまわりに並ぶ。前回イタリアに旅行したときは、乗り継ぎ時間が短すぎて荷物が出てこなかった。今日はどうか。乗り換えに9時間も時間があった。これは出てくるのではないか。

考えが甘かった。というより、ほとんどの荷物は出てこなかった。フランクフルトの荷物システム自体が麻痺していたのだろう。50人以上の乗客が途方に暮れ、やがてテーブルの回転が止まった。荷物問い合わせ窓口に大勢が並んだので、それだけで軽く2時間はかかりそうな勢いだ。
疲労は限界だったし、明日また空港に来ればいいやと思って諦めて外にでる。深夜のバルセロナ。ああ。

タクシーがなぜか1台だけいたので、運転手に行き先を書いた紙を渡す。フリーウェイを飛ばす飛ばす。降りたとおもったら曲がりくねった道をどんどんのぼっていく。一方通行だらけでしかも夜なので、まるで迷宮だ。やがてホテルに到着。端数を運転手にチップとして渡す。きっとそういう国だ。グラシアスと言われた。ああスペインに来た。

フロントのおやじは、今頃ついたのか、大変だったな、みたいなことを言って鍵を渡した。ミスター・クロイはまだ来てないが、どうしたんだ、と聞かれる。彼は悪天候で今パリにいるけど明日には到着すると思うよ、とか言っておく。そうだ、水を買わなくては。ロビーに水の自販機があったが、コインを受け付けない。おやじに言うと、ああそれ壊れてんだよ、といって自販機の扉を開け、直接2リットルのペットボトルを1本出してくれた。部屋に入り、水を飲んで、倒れるように眠る。

寝たというよりは、ちょっと横になったという感じだ。たった2時間が8時間にも感じられるほどの熟睡だった。
現地時間は3月4日土曜日朝7時。ホテルの1階のレストランに全員集合して朝食。パンがうまいなー。僕にはなぜかヨーロッパのパンがとてもうまく感じられる。日本のパンがまずいとは決して思わないが、全体的にやわらかすぎる気がする。ヨーロッパのパンは固くて、パサパサしている感じで、飲み込むのに大量の唾液を必要とするから、必然的に味わっていると考えるべきなのだろうか。毎日食べても飽きない気がする。夜中の機内で出されたサンドイッチだけだったので、もう腹ペコだ。ハム、チーズ、フルーツなど食べる。ジュースもコーヒーも飲む。
今日は全員で、サッカーの試合を観に行くことになっている。スペインサッカー・リーガエスパニョーラのバルセロナの試合を、本拠地バルセロナのカンプノウ・スタジアムで観ようというわけだ。試合開始はなんと夜の10時だ。一体この国はどうなっているのか。
昨日の出来事を考えると、みんなにここで会えていることすら奇跡的に思えてくる。クロイ氏はようやくパリを発つころという。今日もフランクフルト経由でスペインを目指すようだ。果たして試合に間に合うのか。

朝食を終え、カンプノウへ試合のチケットを取りに行くチームと、グエル公園に観光に行くチームに分かれる。グエル公園はホテルから歩いて1.5キロくらいのところにあった。途中の街並みが既に新鮮だ。建物と建物の境目がなく、すべてが融和している感じで見飽きない。
グエル公園は、ガウディのパトロンであったグエル氏の名前が冠せられた公園。ガウディは、未来の住宅地を構想して分譲住宅地を設計したが、 買い手が付かずに工事は中断。失敗に終わった跡をバルセロナ市が引き取ったという、なんとも微妙な世界遺産だ。小高い丘の上にある公園なので、坂を登る登る。一気に足が疲れた感じがする。

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ハトが見るバルセロナ市

開園間もない公園に入ると、入り口から様々なものがグネグネ曲がっている。公園のいたるところに、植物や動物の形状を思われる独創的な柱や空間がある。

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波を彷彿させる回廊で傾くヨシオカ氏、オカムラ氏、ヤギュウ氏

まっすぐ立っている柱のほうが少なく、すべて意図して斜めに傾いている。柱はまっすぐじゃないといけない、という固定された考え方はどこにもない。あまりに斬新で、あまりに衝撃的な情報が、次々と視覚から入ってくるので、頭が痛くなってきた。いやはや、大変な街に来てしまった。

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モザイクタイル装飾に見入るヨシオカ氏

昼からは僕だけカタルーニャ広場からバスに乗って空港へ向かう。まず昨夜機内で言われたバウチャーとやらをもらいにルフトハンザのカウンターに行く。チケット窓口の女性に相談したら、「自分でルフトハンザのカスタマーサービスに手紙を書いたら?」とか信じられないことを言うので、おいおいそれがベストな回答か?と問い詰める。すると裏から上司らしき人がでてきて、「分かった。こっちで必ずドイツに連絡とっておくから、スペインを去る日に返事を聞きにまたここに来てくれ。」と言われた。そんなこと言って、また「手紙書いたら?」とか言われては敵わんので、ルフトハンザ社内通信文の控えをもらって、カウンターを後にする。

次に手荷物検査場を通る。ここは通常、これから出発する人が利用するところだが、荷物の問い合わせ窓口が保安区域の中にあるので、事情を係員に話し、手荷物チェックを受けて通してもらう。飛行機に乗らないのにここを通るのは不思議な感じだ。腹もへったので、出発ロビーのファーストフード店でチーズ入りフォカッチャを食べる。一体どこに旅立つ気だ。フォカッチャうますぎだ。

出発ロビーから1階に降りて、手荷物の問い合わせをすると、まだドイツにあるらしい。ぜひ届いたらこのホテルに送ってくれと、ホテルの名前をなんとなくスペイン語で書く。後から確認したら、スペルは思いっきり間違っていたが、係員はそれで十分わかったらしく、まかせとけ、みたいな返事をした。また、今日はまだフランクフルトからの便があるし、夜には届くんじゃないかな、とか言われた。本当かね。

街に戻り、他のみんなと合流し、サンジョセップ市場にいく。とにかくここは商品の並べ方、飾り方がうまい。照明がいいのだ。食べ物がおいしそうに見える。バルのようなものも何軒かあったが、どこも満員で座れなさそうだった。ちょうど築地の場外市場の上に巨大な屋根が乗ったようなイメージだ。気づいたらヨシオカ氏はなぜかみかんを2キロも買っていた。買いすぎだ。彼はその陳列のあまりの素晴らしさに感動して買わざるを得なかったのだろう。

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マンダリンは1キロで89セント=125円

そのままゴシック地区を歩く。普通に武器屋があったりして驚く。アレフガルドにしかないと思っていた武器屋がこんなところに!ここなら竜王の城まで行かなくてもロトの剣が手に入るに違いない。
サンタ・マリア・デル・ピ教会(通称ピ教会)前で、明日の夜開催されるというクラシック・ギターのコンサートのチラシをもらう。曲目もスペインらしいものばかり。しかも教会の中で演奏されるとは。むむむ、これはぜひとも行かねばなるまいと、まわりに力説する。

そんなピ教会の前にある、サッカーのユニフォーム屋らしき店に、「ちょっと5分」と言って、フジワラ氏が吸い込まれていく。まぁ5分で出てくるはずもなく、店員からあれやこれや勧められている様子だ。この旅はある意味彼のために企画されたものなので、存分に買い物を楽しんでいただきたいという意見で全員一致していた。その後、お土産屋などにも入りつつ、ゴシック地区を歩く。このあたり、実に雰囲気のある建物ばかりだ。

腹も減ったので、ランブラス通りのバル「ミケル・エチャ」に入り、パエリアを食べる。ホタルイカを揚げたものとか、イベリコ豚の生ハムとか、タコのカルパッチョのようなものとか、タパス(小皿料理)とか、とにかく勝手が分からず頼みすぎた。全員で挑んだものの結局全部食いきれなかったのが悔やまれる。ビールも料理もうまい。

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頼みすぎた夕食

十分食いすぎたところでいざカンプノウ・スタジアムへ移動。スタジアムがあまりに巨大で、地下鉄の駅を出てかなり歩く。辺りはすっかり夜で午後10時。バルセロナ対デポルティボの試合。スタジアムは3階席まで人が入っていた。日本ではかつて見たことのない圧倒的な光景。それもそのはず、ここは収容人数98,700人のヨーロッパ最大の超巨大スタジアムだ。

試合開始直後、クロイ氏から電話。今バルセロナに降り立った。これからタクシーで急行するとの連絡。なんと、間に合ったのか。それから20分して外側のゲートに到着したとの連絡。速い。タクシーはきっと飛ばしすぎだ。
本来このスタジアム、一度出てしまったら再入場できないのだが、クロイ氏にチケットを渡しにいかねばならない僕は、内側のゲートの係員と身振り手振りで交渉。マイ・フレンドがこのチケットをアウトサイドで待っている。レット・ミー・ゴー、アンド・リターンだ。頼む。熱意は通じる。おおそうかそうかわかった、急いで行ってこい、となって、外側のゲートまで走る。クロイ氏にチケットを渡し、スタジアムに駆け込む。なんとか全員で試合を観戦することができた。

日本なら、ゴール裏に常にタイコ叩いて応援している人たちがいたり、歌を歌い続けていたりして、プロ野球式の応援が続き、ちょっとうるさい感じがする。しかし、この国の人は基本的には静かに観戦している。サイドチェンジがあったり、いいプレイがあったりすると、素晴らしくよい拍手をする。ゴールを外せば、ため息とともに頭をかかえて悔しがり、反則らしき行為があれば、みんな一斉にポケットからイエローカードを取り出す仕草をする。凄い数の観客が一斉に架空イエローカードを出すので、最初に見たときはおかしくて吹き出しそうになった。
当然、ゴールが決まれば、一斉に立ち上がって素晴らしく喜ぶが、すぐに席についてまた静かに観戦する。観客がサッカーを分かりすぎている。メリハリが心地よい。全員が応援することじゃなくて、サッカーを観ることを楽しんでいる。いやはや、この国でサッカーを観るのはたまらなく面白い。

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日本人から見れば常にオーバーリアクションの観客

ただ、スタジアムは禁煙ではないので、まわりが次々とタバコを吸い出し、その煙にまかれるのが非常に辛かった。それでも、その辛さを忘れさせるような異様な熱気だった。

試合が終わったのは深夜だった。周辺の道路は、歩行者天国のようになっており、もの凄い数の人が帰宅しようとしていた。最寄りの地下鉄の駅はとても入れそうになかったので、数駅先までかなりの距離を歩き、そこから乗車してホテルに戻った。
水を飲み、そのまま倒れるように寝た。荷物はまだこない。

日曜日。朝9時に朝食。みんな昨日の興奮が覚めやらぬ様子だ。
フロントの人に荷物について電話で問い合わせてもらう。スペイン国内のことは、スペイン語で聞いてもらったほうがはっきりするだろうと思ったのだ。ところが、問い合わせ窓口に電話がつながらない。仕方なくあきらめて、出発。この日7人の旅団メンバーは、もっとサッカーを見たい派と、市内を観光したい派に分かれて行動することになった。

観光班はまずサンタ・カテリーナ市場に向かった。カテドラルの近く。2005年にオープンしたばかりの新しい市場のようだ。屋根がカラフルで、カーブが美しい。ヨシオカ氏と僕は、まるで京都の二条駅のようだと言っていた。日曜日なので残念ながら市場はお休み。後から知ったのだが、この市場、正面だけではなく、裏側の構造が面白いらしい。その時は、そこまで頭が回らず、表側だけ見て立ち去った。

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サンタ・カテリーナ市場

次に、すぐそばのカタルーニャ音楽堂を外から見る。モザイクタイルの装飾、彫刻が美しい。内部が圧巻のようだが、その見学ツアーはかなり待たなくてはならないということで断念。
続いて港のほうに向かう。もう少し歩けば海かというところ、コロンブスの像のあたりで激しく雨にやられる。残念ながら、僕の傘はまだドイツにある。このまま雨に打たれながら歩き続けるのも辛いので、ちょっと早かったが、近くのレストランに入って昼食とする。サラダ、パエリヤ、ラザニアなど注文する。注文したスパゲティは期待通りゆですぎだった。イタリアはすぐそこにあるというのになぜなんだ。

さて、食後はもちろんコルタドだ。エスプレッソに牛乳を少し加えたような、小さいカップで出てくる飲み物。みんなでコルタドを注文する。この旅行、毎日コルタドを欠かさず飲んでいた気がする。僕がコルタドを注文したらみんな俺もそれ、と言ったのかなんだったか、きっかけは忘れてしまったが、気がついたらみんなコルタドを注文していたという、そんな旅だ。旅行中、他は全部英語で通すのに、コルタドの注文だけ「クアトロ コルタド ポルファボール」とか、スペイン語を使っていた。

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コルタドとキヤ氏

旅行中はかなり歩くので、コルタドには必ず砂糖を一袋入れていた。体が求めるのだ。日本ではあり得ない。キヤ氏は初めの頃はためらっていたが、やがて疲労回復に大変良いと気づき、後半では素直に砂糖を入れて飲んでいたようだ。コルタドを飲みつつ、雨がやや収まるのを待って店を後にする。

ここでみんな疲労もたまってきていたし、スペインでは昼寝が基本ということもあって、一旦ホテルに戻ることにした。フロントの人にまた電話をかけてもらう。ちょっと不安に思ったのは、昨日適当に書いたホテルの名称だった。係員に正しく伝わっていなかったらまずい。そこで、荷物は届いているのか、荷物の届け先としてこのホテルが正しく登録されているか、の2点について尋ねてもらうことにした。
すると、まだドイツが雪で、荷物はまだ空を飛んできてないが、ホテルは正しく登録されているということが分かった。

夕方、地下鉄でゴシック地区に移動する。日本の地下鉄では、あとどれくらいで電車が来るかという情報を、前駅に停車中とか、前駅を出たとか、そういう表示で済ませているところが多いが、バルセロナの地下鉄では、あと何分何秒で電車が来るというのが常に表示されている。1秒ずつ減っていくので分かりやすい。電車が遅れると、途中で増えたりもする。

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日本の地下鉄も真似してはどうか

クラシックギターのコンサートを聞きにピ教会に出かける。チラシに「The best guitarist on spanish music of the world」とかかなり思い切ったことが書かれていたので、以後、僕らの中でこの演奏家は「オブ・ザ・ワールド」と呼ばれることになった。人の呼び方としては、あまりお勧めできない。

夕暮れ時のゴシック地区は素晴らしかった。写真を撮りつつ歩き回り、教会の近くのカフェでワッフルを食べてから教会に入る。

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夕暮れの城壁

7時半開演。聞きなれたギターの名曲も、教会の中で聞くと全然違って聞こえた。なんてぴったりくるのだ。教会が地域の中に普通にあるという、こういう文化背景があって作られた曲なのだということを、改めて実感した。アルハンブラ宮殿の想い出、アランフェス協奏曲、グラン・ホタなど、すべて挑戦的に速く弾く人だったが、教会の中は冷え切っていて、長居するのが厳しそうだったのでちょうどよかった。途中シンセサイザーも入って、観客を飽きさせまいと必死だった。音楽はそれが生まれた国で聞くと何倍も違って聞こえることを実感した。僕は、雰囲気に弱い。なんてことない曲で泣きそうになる。

夕食で全員合流する予定だったが、クロイ氏は体調を壊し途中でホテルに引き返した。レイアール広場の安くてうまいと評判の店、ラス・キンザ・ニッツ(las quinze nits)に向かうが、もの凄い行列で断念する。目当ての店での夕食は開店と同時に向かわねばいけない。仕方なく、ランブラス通りで見つけたピザ屋に入る。体が冷えたので、スープを頼む。赤ワインに数種にのフルーツを漬け込んだサングリアという飲み物を飲みながら、ピザも食べる。かなり軽めの夕食となった。寒さの影響もあって、みんな弱り気味だ。

ホテルに戻る。荷物はまだこない。
機内でもらった、歯ブラシ、歯磨き粉、保湿クリームなどが連日大活躍する。
同じく機内でもらったポロシャツ(ファーストクラスという文字が入っていて笑える)などに着替え、下着、靴下などを手もみ洗いし、部屋に干す。空気も乾燥しているので朝までには乾くだろう。
残っていたすべての体力を使い果たし、倒れるように寝る。

朝、洗濯物は見事に乾いていた。もう預けた荷物に何を入れていたかすら思い出せないくらいだ。
ひげをまったく剃っていないので、そのざらざらした感触に非常に違和感がある。このまま伸ばしたらどうなるだろうかと一瞬考える。
朝食後、全員でカンプノウに向かう。でスタジアムツアーに参加した。ツアーといっても誰かが案内してくれるわけではなく、ある一定のコースに沿って自由に見てまわれる。ロッカールームなど、様々な部屋を見てまわり、フィールドの高さから3階席まで、あらゆる視点に立ってスタジアムを見回すことができて実に面白かった。3階席は、ピッチ全体を見下ろすような感じで、サッカーゲームでひょっとしたらあるかもしれないような神の視点だった。それにしてもなんて巨大な建造物なんだろう。

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晴天のカンプノウ・スタジアム

ツアーの最後はミュージアムだ。100年以上の歴史があるので、展示されている資料の数も膨大だ。キャプテン翼もちゃんと展示してあった。フジワラ氏はとりあえず昼食のために外に出てきたものの、あと何回でも、何時間でも見てそうな勢いだった。これほど目が輝いている彼を、かつて見たことがあっただろうか。

マリア・クリスティーナ駅まで行き、適当な店に入って昼食を取る。普通のメニューがでてきたので、セットメニューはないかと尋ねると別のメニューを持ってきてくれた。料理2品に飲み物、デザートがついたものがあったのでそれにする。が、全部スペイン語で分からない。すると、店員が親切に片言の英語で1つずつ説明してくれた。説明といっても、リゾットだ、牛肉だ、ラムだ、とかそれくらい。でもそれで十分だった。ちなみにスペインで「パン」といえば、日本語のそれとまったく同じ意味で通じる。

ゆっくりと昼食をとり、またカンプノウ・スタジアム班と観光班に分かれる。彼らはまったく市内観光をやらないつもりだ。潔すぎる。観光班は、地下鉄でサグラダ・ファミリア駅に向かった。駅から外へ出る階段を上がると、いきなり視界に巨大な聖堂が飛び込んでくる。思わず声をだしてしまった。着工から120年たって、今なお建設中というから、これは大変なことになっている。

入場料を払って、建物に近づく。外に膨らんだり、突き出たり、中に入り込んだりしつつも、ぎっしりと彫刻が施されていて、気が遠くなるような作業の積み重ねだ。人の手によって創造されたもののあまりの量の多さに圧倒される。内部の柱は木の枝のように先が割れていて、巨木の森のようだ。

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サグラダファミリアの柱

エレベータで上まで昇れるらしい。乗るための行列もなく空いていたので、係員に2ユーロ払って昇ってみることにした。どうせちょっと上のほうまで行って、展望台みたいになっていてそれで終わりだろうと思って昇ってみたら、えらく高いところまで上げられてしまう。さらにらせん階段を上っていくと、さっき外から見ていた鐘楼の先のところまで来てしまった。高すぎる。
塔の中はまだいいとしても、塔と塔を結ぶ空中廊下が、外界に対してむき出しになっているので、渡るときがめちゃくちゃ怖い。なんでお金払ってまでこんな高いところに昇らなきゃいけないのだ。みんななぜか楽しい楽しいと身を乗り出している。みんなどうかしている。しかも、もう降りようといってるのに、僕を後ろから突いたりして、最悪な連中だ。

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高所なのに涼しげな顔をしている4人

エレベータでようやく地上に降りる。変な汗をかいた。だまされた。
裏側の構造がまた素晴らしい。どこをどこから見ても、もの凄いエネルギーを感じる建物だ。地下には資料展示もあって、見ごたえ十分だ。

続いて、街中にあるガウディの建築物を見てまわる。カザ・ミラ(ミラさんの家)の近くで例のコルタド。砂糖をどれくらい入れればいいか迷っているキヤ氏に、オカムラ氏が一言。

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「全部入れればいいんじゃない」

続いてカザ・バトリョ(バトリョさんの家)の内部見学に。入場料が高くて入るべきか迷う。結局何人かは入り、何人かは外で待つことになった。その奇抜な外観と同じく、部屋の壁も、窓も、階段も曲線だらけだが、意外に住みよさそうなところだったのが印象的だった。

夕食はまたミケル・エチャになった。試合の日、注文しすぎてしまったあの店だ。小イカのフリット、タパスをいくつかと、ポテトを頼んで、さらにイカスミごはん(arroz negro)をなんと4人前も頼んでしまう。絶対後悔するとみんなが言っているところに、想像を絶する大きさのパエリア鍋が現れた。
あまりに巨大すぎてみんな笑うしかなかった。なかには笑いが止まらなくなる人もでた。それでも、サングリアを飲みつつ、レモンを絞ったり、塩をかけたりしたりして少しずつ食べているうちに、なぜか全部なくなってしまった。スプーンも、皿も真っ黒だ。さすが日本人。米となると強い。

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4人前のイカスミごはんを食いきった

夜9時過ぎ、ホテルに戻り、満腹感と疲労感で倒れるように眠る。荷物はまだこない。

朝8時、朝食。こうも毎日同じことを繰り返していると、ほとんど無意識のうちにパンを取り、ハムやチーズを取り、ジュースを注ぐことも、エスプレッソをつくり、熱い牛乳を注ぐこともできる。楽しい。
明日はもう帰国の日なので、実質的には今日が最終日。数万円という高額なチケットを土壇場で入手したサッカー観戦班と、鉄道で郊外のモンセラットまで行く小旅行班に分かれ行動することになった。スペインに来て、街に見向きもせずに、毎日スタジアムに通っているのだから、その熱意といったら他人が口を挟む余地はない。凄すぎる。
タコも食べたいが、イカも食べたい。ビールも飲みたいが、コルタドも飲みたい。サッカーも観たいが、建築も見たい。そんな小旅行班だ。

地下鉄エスパーニャ駅でカタルーニャ鉄道に乗りかえ。切符の自動販売機で、コロニア・グエル駅まで大人片道1枚を買う。ちゃんと英語表示もあるし、クレジットカードで買うこともできる。1回英語で買うところを観察したら、みんなスペイン語表示のまま買うことができた。
目的地には、Rの記号がつく快速は停まらないので、Sの記号の各駅停車に乗る。車両は乗り心地もよく、非常に快適だ。バルセロナは高層の建物が密集する都心だったので、次々と変わっていく風景、広がる草原が新鮮だ。やはり外国の鉄道の旅は何ものにも変えがたい。

コロニア・グエル駅で下車。歩道に描かれた足跡をたどっていけば、観光案内所に着くという親切な誘導だった。ここは、グエル公園でも触れたあのグエル氏が、工場と従業員のための街を作ろうとして、ガウディにそこの教会堂の設計を依頼したが、ガウディは設計に10年もかけ、挙げ句サグラダファミリアに行ってしまい、未完のまま建設が中断したという、またもや微妙な感じのするところだ。

ガイドブックにも載っていない、自然の中にある本当に小さな街だが、それが非常によかった。あれやこれや見るところがある観光地もいいが、植物に目をやりながら、のんびり散歩して気持ちがよいところというのもまたいい。イギリスの湖水地方を歩いたときもこんな感覚だった気がする。

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コロニア・グエルを歩く4人

観光案内所で教会堂に入るためのチケットを購入して、いよいよ教会堂へ。ちょうど開館したばかりで人もまばらだった。教会というには、土台の部分だけで建設が終わっているので、あまりに小さく、あまりに背が低く、不思議な感じだ。しかし中に入ると、意外にも教会として違和感はない。教会といえば天井が高いという先入観が邪魔しているのだろう。この天井の低さは逆によいと思った。シンプルで美しいステンドグラス。石の積み方も、柱の形も見事。
近年出来たという屋上は、作りかけのものに無理やりフタをした感じでちょっと無理があった。しかし、こんな言い方もなんだが、途中でやめちゃったガウディも悪い。

教会堂を後にし、ガウディの散歩道と名づけられた小道をゆっくり歩く。ちょうど草花が咲いていて、天気もよく、黒い猫が背の低い建物の屋根に寝ていたりして、いいところだった。

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散歩道に咲く花

駅に戻る。コロニア・グエル駅は無人駅なので、自動販売機で切符を買う。Monistrol de Montserrat駅までの切符と、そこからの登山列車がセットになった切符「tren + cremallera」を買って列車に乗る。ヨシオカ氏は、体調悪化でここから一人、バルセロナに引き返すことに。非常に残念。

さて、モンセラットに行くには途中でR5線に乗り換えなくちゃいけないのだが、Sant Andreu de la Barca駅は半地下の駅で、R5の列車を待つにはあまりに寒かった。寒すぎて、踏み台昇降を始めそうな勢いだった。どうせならいくらか日のあたる地上駅で待ちたい。そこで次に来た列車で、Martorell-Enllac駅まで行くことにした。
車内改札に来た車掌が、乗り換えについてジェスチャーで教えてくれる。親切だ。日本でもそうだが、ヨーロッパの地方の列車は、途中で連結したり、切り離されたりがよくある。「プラハに行きたい」と思っていても、わずか1回のミスで行けなくなってしまうような事件が簡単に起こってしまうので注意が必要だ。
目的の駅に着き、列車を降りて、駅のホームでのんびり待つ。地上駅なのでそんなに寒くはない。

やがてやってきたR5の列車に乗ってMonistrol de Montserrat駅で降りる。すぐ横に登山列車が停車していて乗り換えも簡単だった。登山列車は予想に反し、恐ろしい勢いで急傾斜をどんどんのぼっていく。乗る時は進行方向左側に乗ると景色が楽しめてよい。が、ちょっと高すぎて、しかもすぐ横が絶壁だったりして怖い。

モンセラットに到着。それにしても奇岩だらけの山だ。長い年月をかけて風雨に削られてきた岩。1000年以上も昔の人が、何か神聖な雰囲気を感じ、この山自体を信仰の対象としたのもなるほどと思う。その山の中腹に修道院がある。修道院どころかカフェテリアもあり、ちょっとした街のよう。
到着早々まず昼食となった。好きなものをとって、最後に清算する方式。はて、何かの記憶が蘇る。そう、ロサンゼルスのフィゲロアホテルの朝食だ。朝から毎日取りすぎたあの。

フランスパンにチーズなどをはさんだサンドイッチ、小さなボトルの赤ワイン、焼いたトマトとナスのプレートなど、こんな神聖な場所で食いすぎだ。さらにこの地方のデザート、クレマ・カタラナ(crema catalana)も取った。表面を焦がしたシンプルなカスタードデザート。クレーム・ブリュレの原型らしい。これがうまかった。日本にいるときは絶対食べないと思う甘さ。

かなりゆっくりと昼食をとったあと、外に出る。空はきれいに晴れているのに、標高700メートルのこの場所は少し寒いくらいだ。空が青い。
奥の巨大な大聖堂におそるおそる入る。冷え切っている。張り詰めた空間。天井が高い。壁はグレーで、赤とオレンジの光の使い方がとても印象的。正面の入り口とは別に、右側にも別の入り口があり、そこから建物の一番奥の部分まで入っていくことができる。このうえなく荘厳な雰囲気が漂う。

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願いがこめられた、色とりどりのキャンドル

帰りはロープウェイで下山しようということになった。新しく登山電車が開通したせいで、ロープウェイの人気がなくなったのか、乗り場は閑散としていて、係員の対応もびっくりするくらい悪い。しかもいきなり発車し、びっくりするくらい速く、びっくりするくらい高いところを降りていくのだ。割れたのか、わざとなのか、ゴンドラには窓がない部分がある。怖すぎだ。最大の疑問は、なぜ旅行中に二度も、しかもお金を払ってまで、恐怖体験をしなくてはならないのかということだ。

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恐怖のモンセラット・ロープウェイ

ロープウェイを降りたらそこがカタルーニャ鉄道の駅、Montserrat-Aeriだ。でも無人駅なのでどうやって切符を買っていいかわからない。切符を持たずに乗るわけにはいかない。罰金が待っている。と思ったら、ロープウェイ乗り場の窓口で鉄道の切符も買えるということだった。モンセラットの山をぼーっと見ながら、準急列車の到着を待つ。僕の場合、案外こういう何気ない時間が、あとになって旅行の想い出として蘇ることが多い。

外の景色をみながら、うとうとしつつ1時間。エスパーニャ駅まで戻ってきた。リセウ駅周辺は、本日のバルセロナの対戦相手、チェルシーのサポーター集団が、歌を歌いながら街を歩いたりしていて、ちょっと怖い感じもした。
体調不良で先に戻っていたヨシオカ氏と合流。おみやげでも買うかということで、ディアゴナル駅周辺の雑貨屋に向かう。みんな現金が少なくなったということで、まずATMへ。La Caixaとかいう銀行に入り、それぞれのATMの操作に付き添って、クレジットカードからキャッシングする手順をそれぞれに解説。手数料はかかるが、手軽で速い。

雑貨屋1軒目は、MDM。コーヒー好きの僕とオカケン氏は、コルタド用のカップを。バルセロナ土産といったらこれしかないでしょう、と勢いで購入。これで日本でもコルタドが飲めるかどうかは微妙だ。少なくとも、家で飲むときに砂糖1袋は入れすぎだ。

2軒目は、カサ・ミラのすぐ横のビンソン(Vincon)。ここは文具、キッチン用品、インテリア雑貨など幅広く扱っていて、店内の感じもよく、実に楽しい。1時間とか平気で見てまわれる。KLMのロゴ入りのかばんをヨシオカ氏が購入する。帰りのKLMの飛行機で、乗務員に話しかけられたとか。キヤ氏は、ついに世界最高の塩入れを発見したと興奮していた。僕は黒いトイレットペーパーで迷った。おみやげとしては面白いけれど、異常にかさばるのでやめた。

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グラシア通りの夕暮れ

ホテルに戻る。すると、フロントに見慣れたものがあった。僕の荷物だ。おまえあした帰るんだよな、とフロントのおやじに言われる。まったくその通りだ。

さて、サッカー観戦班がスタジアムで見ているまさにその試合を、ホテルのロビーのテレビで見ることにした。ホテルの従業員も、ソファーを全てテレビのほうに向け、仕事そっちのけで見るような試合だ。ビールを頼んで飲みつつ、観戦。ロナウジーニョは天才すぎる。3人をドリブルでかわし、突破したのだ。ため息がでる。試合はそのまま1-0で終わりそうだったが、最後の最後で我がブロンクホルストがファールし、PKで1-1に。でも、その直前のチェルシーのプレイには疑問が残る。

近くのイタリア料理店で夕食。店主と思われるおばちゃんは、ほとんど英語しゃべれないけど、辞書までひっぱりだしてきて、メニューを必死に説明してくれた。スープ、サラダ、イカスミが練りこまれたスパゲッティなど非常にうまかった。しかも全然高くない。あまりの素晴らしいサービスに感動し、チップとして5ユーロも渡す。

部屋に荷物を運び込み開けてみる。着替え、歯ブラシ、かみそり、傘なんかが入っていた。旅行行くときに普通持っていくようなものばかりだ。けれども、僕はそれを使わずに過ごすことができた。ちょっと余計なことに時間がかかったり、不便だったりしただけだ。パスポートとクレジットカードさえあれば旅行はできてしまう。
とはいえ、毎日きれいにしていたいし、雨のときは傘もさしたい。荷物があるのは、旅行先でも普段の生活をイメージするからだ。でも、旅行先では所詮外国人。普段の自分じゃなくて、旅行者としての自分を楽しむこともできる。

そんなことを考えながら、倒れるように眠った。
やはりパジャマを着て寝ると暖かい。つまりそれだけのことなのかもしれない。

朝。帰国の途に就く日だ。本当はこの日のうちに一気に帰国したかったのだが、いい乗り継ぎ便がなくて、僕だけドイツに一泊してから帰る予定にしていた。

アムステルダム経由の4人は、僕が寝ている早朝にホテルを発った。残ったクロイ氏とキヤ氏とで朝食。その後グエル公園に行く。クロイ氏は、自分用とおみやげ用に地元のスポーツ氏を2部購入していた。店員は、おまえ同じの2部買ってるけどいいのか?そんなことをスペイン語で問いかけていた気がした。さぞかし不思議に思っただろう。
今日は曇りで、公園を歩き回るにはちょうどいい天気だ。二回目のグエル公園は、勝手が分かっていて、入って右側のエリアをダイジェストで案内した。何度見ても、すべてが曲がりくねっていて楽しい。

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柱はそれぞれ形が全然違う

僕はといえば、公園なんかよりむしろ、着替えることができてうれしい。なんと、昨日と違うものを着ている。信じられない。日本の香りのよいシャンプーで髪も洗えたし、その勢いで、ひげも剃ろうかと思ったけれど、こういうちょっと伸びたひげをいまさら剃るとたぶん痛いので、このまま行くことにした。電池残量を気にしながら使ってきたデジカメも、充電が完了して撮り放題だ。今日からが旅行だ。

公園から戻って、チェックアウト。昨夜夕食をとったイタリア料理店は開店前だったが、入ってみる。まだ準備中だったが、おばちゃんは嫌な顔一つせず迎えてくれた。最高だ。ビールはコロナ(Coronita cerveza)。スパゲッティなど注文する。キヤ氏が頼んだぺペロンチーノはめちゃめちゃ辛そうだった。僕ならあんな危険な料理は頼まない。うまいとか言いながら食べているから不思議だ。

タクシーを呼んでもらい、空港へ。この国のドライバーは、フリーウェイ走行時のみシートベルトをする。そういう法律なのかもしれないが、それじゃあんまし意味がないんじゃないかね。料金はメーター制で空港発着は特別送迎料金が3ユーロ。荷物は1ユーロくらい。おつりの小銭をチップとして渡すといい感じだ。

さて、それぞれチェックインする。空港のどこにどの航空会社のカウンターがあるか頭に入っている。2日連続で空港にいた成果だ。悲しい。
ルフトハンザのチケットカウンターで、先日の通信文の控えを見せると、おおこの件は確認がとれたので、今ここでバウチャーを発行するぞ、ということになった。数分待るとチケットの束のようなものをくれた。最後は笑顔でいい感じだ。バウチャーって何だ?と思いながら受け取る。
後で調べたら、なんのことはない、クーポン券のことだった。手書きで75ユーロと書かれた紙が4枚綴ってある。43,000円相当。かなりの金額だ。説明を読んだら、このクーポン、現金化もできると書いてある。やるな、ルフトハンザ。

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これがバウチャー

空港の中でビールなどを飲み、オランダ経由で帰国するキヤ氏と別れる。フランクフルト行きは、ゲートが変更になり、出発も遅れた。ドイツはまだ天候が悪いのだろうか。
離陸してしばらくすると、さっき昼食とったばかりなのに、この短い区間でも機内食がでた。チーズとパン、赤ワイン、デザートなど食いきれない。

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ワールドカップで、チョコレートまでサッカーボール仕様

ドイツが近づくと窓の外はどんどん白くなっていった。まだ雪模様みたいだが、かなり積雪は減っているようだ。問題なく着陸。フランクフルト空港で、その足で帰国するクロイ氏と別れる。彼の荷物を見ると、ほとんどがスポーツ新聞だった。びっくりだ。

空港近くのシュタイゲンベルガー・エアポート・ホテルにシャトルバスで向かう。外は、さっきまでスペインにいたのが信じられない寒さだ。
ホテルにチェックインする。ベージュと黒でまとめられたシンプルな部屋。居心地はよさそうだ。

レストランでの3コースディナーが付いていた。席につくなり、コースの説明をしてくれるがさっぱり分からん。ドイツビールを飲んでいると、スープ、メイン、デザートが勝手に出てきた。メニューと格闘する必要もなく、ただ待っていればいいので楽だ。それにしても、大勢で旅行していて、いきなり1人になると、食事が劇的に変化する。
メインはカツレツのようなもので結構うまかった。じゃがいもだらけでびっくりする。そういえばドイツはこうだった。とても全部食いきれない。
負けた気がした。部屋に戻り、倒れるように眠る。

朝8時に起きると、そこはスペインではなかった。少し寂しい。
朝食はホテルの中のFive Continentsでビュッフェ。たまご、フルーツ、パン、コーヒーなどどれもうまかった。
チェックアウトし、シャトルバスでフランクフルト空港へ。ファーストクラスのカウンターでチェックインし荷物を預ける。係員に、ファーストクラス・ターミナルに行きたいのだがと告げると、しばらくして僕一人のためにワゴンが迎えに来た。

ルフトハンザのファーストクラス・ターミナルは、2004年に空港敷地内に完成したファーストクラス乗客専用のビルだ。ドイツから出発するファーストクラス利用客と、ルフトハンザの最上級顧客だけが利用できる。これはちょっと凄いことになっているのではないかと思い、せっかくなので利用してみることにした。

ワゴンがファーストクラス・ターミナルに付ける。なんとこのビル、中に専用の手荷物検査場まである。もちろん、タクシーで直接ここに乗り付けて、そのままチェックインすることだってできる。入り口のソファーで少し待つと、係員が迎えに来た。手荷物を機械に通し、金属探知機をくぐると、そこは広いラウンジだった。

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革張りの赤いソファーがならぶ

電話やインターネットはもちろん、文具まで揃った個室。なんでも飲み物を作ってくれるバーカウンター。シェフが季節の食材をその場で調理してくれる専用のレストラン。愛煙家のためにはシガーバー。バスタブを備えたシャワールーム。ベッドを完備した休憩室。もちろんこれらは全部このターミナルの乗客のためのサービス。無料だ。

バーカウンターでジントニックを頼もうなら、どのジンにいたしますかと聞かれて怯むだろう。ビーフィーター、ボンベイ・サファイア、それから僕の知らないジン。
司馬遼太郎の「峠(中巻)」を読みつつ、のんびり過ごす。いや、のんびり過ごしているふりをする。長岡藩は大変なことになっているはずなのに、内容が全然頭に入ってこない。
もう好奇心が抑えられない。バスルームへ行ってみることにした。

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バスタブには黄色のアヒルも完備

こ、これが空港の待合室の設備なのか。バスタブは足を伸ばしても向こう側に付かないくらい長いし、バスローブもバスソルトも用意してあるし、ちょっと腰掛けて休むための椅子まである。洗面化粧台はもちろん、部屋の中にトイレ、シャワールームまである。しかもこんな個室がターミナルの中にいくつもある。空港のがやがやした待合室で待っているあのイメージとかけ離れすぎていて頭がおかしくなりそうだ。

バスタブにぬるめのお湯をたっぷり張り、バスソルトを入れて、ゆっくり入る。もうすぐ飛行機に乗るはずなのに、自分が今、どんな旅でどの国にいて、これからどうしようとしているところなのか。このターミナルにいる目的すら忘れてしまいそうだった。

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チケットまでワールドカップ仕様

ラウンジに戻ってしばらくすると、ドイツ人の係員が迎えにきた。が、そろそろ参りましょうかと日本語で話しかけてくれたのに、Sureとか英語で答えてしまう。かなり動揺している。
出国審査も、専用のカウンターに、専用の職員が待機している。このターミナルの利用者の乗客のためだけに。
パスポートを受け取ると、そこにはメルセデスSクラスが待機していた。なんと、ドライバーがこの車で飛行機まで送ってくれるのだ。空港内を乗用車で移動する。あり得ない体験だ。
僕を乗せた車は、飛行機のすぐ下で止まり、ドライバーはタラップの階段を上がってそのまま機内へ案内してくれた。他の乗客とほとんどすれ違いもしない。なんというサービスだ。なんという世界だ。

空港内にある、あのファーストクラス乗客専用のラウンジだって、普通に考えればなかなかのサービスだ。しかしルフトハンザは、専用のターミナルまで作ってしまった。ここを一回でも利用したファーストクラス乗客が、あえて他の航空会社を利用しようと思うだろうか。飛行機に乗ってどこかへ行くということを、どこまでシンプルにできるか。上顧客を囲い込む最上級のサービスに違いない。
僕は高いお金を払ったわけではない。マイルを使った特典航空券で、実際にかかったのは税金くらいだ。でも、ほとんどの乗客は日本との単純往復に100万円以上もかけるような人なので、これくらいのサービスはむしろあって当然なのかもしれない。

そんな一連の出来事も過去のこととなり、飛行機は何事もなかったかのように離陸したが、いつもならすぐに消えるベルトサインが、離陸してしばらくたっても、なぜか消えない。変だなと思っていたら、機長からアナウンスがあった。フラップが故障した。地上と連絡を取りながらいろいろやってみたけど直らない。よってフランクフルトに引き返すことにした。でも燃料満タンで離陸したので、機体が重すぎて着陸できない。今から50トンの燃料を捨てるので待ってくれと。

飛行機には定められた最大着陸重量というのがある。それを超えていると、着陸装置が耐えきれない。そこで、空中で燃料を投棄して、軽くしてから着陸するのだ。十分高い高度で少しずつ投棄するので、燃料は霧状になって拡散、蒸発してしまうから環境に害はないらしいが本当だろうか。50トンも捨てるんだから、何も起きないとは考えづらい。今も、僕らの知らないうちに上空で大量の燃料がばらまかれているかもしれないのだ。
50トンといったら、ドラム缶300個以上もある。仮にジェット燃料が1リットル70円とすると400万円分の資源を捨てたことになるのではないか。

というわけで、離陸から3時間くらいして、ドイツに舞い戻る。乗客は外にだしてもらえない。コックピットのドアが開いて、ルフトハンザの技術者たちが大勢出入りし始める。外では、フラップの修理がはじまったようだ。修理にはさらに2時間以上かかるらしい。機内では乗客が携帯電話を取り出ししゃべりはじめた。飲み物も配られるが、俺を他の飛行機に乗せかえろという乗客まであらわれる始末だ。

勤務時間の都合か、乗務員が総入れ替えになった。本来の乗務員は北京行きの便に乗り換えるらしい。おそらく他の都市へ行く予定だった乗務員がこの成田行きで仕事をすることになるのだろう。彼らも大変な職業だ。

もし故障が直ったとしても、さっきまで故障していた飛行機を、今ちょっと修理したからすぐ飛ばしますというのは、なかなか怖いものがある。このまま修理が終わらず、今日もドイツに泊まるのかもしれない、と思い始めたころ、ようやく修理が終わった。さらに1時間かけて50トンの給油をする。なんともすさまじい話だ。

再び離陸し、今度は無事ベルトサインが消えた。これでようやく日本に帰れる。前菜、お吸い物、つき出し、台物などゆっくりといただく。隣の証券マンは食事中もパソコンをテーブルに置いて忙しい。株価か何かをチェックし続けている。

少し前まで、機内という環境での通信手段はせいぜい電話くらいだった。ところが今は、機内でインターネットにつながるようになったので、彼らは普通に仕事を続けられるようになった。いや、人によっては、仕事せざるを得なくなった。地上で状況が変化して、それを「知らなかった」とは言えなくなってしまったのだ。機内が暗くなっても、証券マンは忙しかった。

やがて機内が再び明るくなったころ、司馬遼太郎の「峠(下巻)」を読む。
「長岡までは二十里で、二日を要する」という文を、成田まで11時間で移動する機内で読む。

飛行機が着陸の準備をはじめた。
水田、曲がりくねった道。灰色の瓦、青いトタン屋根。
そこにどんな峠があったとしても、僕が気づかないうちに通り過ぎてしまうだろう。

(サッカーと建築とうまいメシの旅 おわり)

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