day8. 難しい帰国

朝8時に起きると、そこはスペインではなかった。少し寂しい。
朝食はホテルの中のFive Continentsでビュッフェ。たまご、フルーツ、パン、コーヒーなどどれもうまかった。
チェックアウトし、シャトルバスでフランクフルト空港へ。ファーストクラスのカウンターでチェックインし荷物を預ける。係員に、ファーストクラス・ターミナルに行きたいのだがと告げると、しばらくして僕一人のためにワゴンが迎えに来た。

ルフトハンザのファーストクラス・ターミナルは、2004年に空港敷地内に完成したファーストクラス乗客専用のビルだ。ドイツから出発するファーストクラス利用客と、ルフトハンザの最上級顧客だけが利用できる。これはちょっと凄いことになっているのではないかと思い、せっかくなので利用してみることにした。

ワゴンがファーストクラス・ターミナルに付ける。なんとこのビル、中に専用の手荷物検査場まである。もちろん、タクシーで直接ここに乗り付けて、そのままチェックインすることだってできる。入り口のソファーで少し待つと、係員が迎えに来た。手荷物を機械に通し、金属探知機をくぐると、そこは広いラウンジだった。

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革張りの赤いソファーがならぶ

電話やインターネットはもちろん、文具まで揃った個室。なんでも飲み物を作ってくれるバーカウンター。シェフが季節の食材をその場で調理してくれる専用のレストラン。愛煙家のためにはシガーバー。バスタブを備えたシャワールーム。ベッドを完備した休憩室。もちろんこれらは全部このターミナルの乗客のためのサービス。無料だ。

バーカウンターでジントニックを頼もうなら、どのジンにいたしますかと聞かれて怯むだろう。ビーフィーター、ボンベイ・サファイア、それから僕の知らないジン。
司馬遼太郎の「峠(中巻)」を読みつつ、のんびり過ごす。いや、のんびり過ごしているふりをする。長岡藩は大変なことになっているはずなのに、内容が全然頭に入ってこない。
もう好奇心が抑えられない。バスルームへ行ってみることにした。

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バスタブには黄色のアヒルも完備

こ、これが空港の待合室の設備なのか。バスタブは足を伸ばしても向こう側に付かないくらい長いし、バスローブもバスソルトも用意してあるし、ちょっと腰掛けて休むための椅子まである。洗面化粧台はもちろん、部屋の中にトイレ、シャワールームまである。しかもこんな個室がターミナルの中にいくつもある。空港のがやがやした待合室で待っているあのイメージとかけ離れすぎていて頭がおかしくなりそうだ。

バスタブにぬるめのお湯をたっぷり張り、バスソルトを入れて、ゆっくり入る。もうすぐ飛行機に乗るはずなのに、自分が今、どんな旅でどの国にいて、これからどうしようとしているところなのか。このターミナルにいる目的すら忘れてしまいそうだった。

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チケットまでワールドカップ仕様

ラウンジに戻ってしばらくすると、ドイツ人の係員が迎えにきた。が、そろそろ参りましょうかと日本語で話しかけてくれたのに、Sureとか英語で答えてしまう。かなり動揺している。
出国審査も、専用のカウンターに、専用の職員が待機している。このターミナルの利用者の乗客のためだけに。
パスポートを受け取ると、そこにはメルセデスSクラスが待機していた。なんと、ドライバーがこの車で飛行機まで送ってくれるのだ。空港内を乗用車で移動する。あり得ない体験だ。
僕を乗せた車は、飛行機のすぐ下で止まり、ドライバーはタラップの階段を上がってそのまま機内へ案内してくれた。他の乗客とほとんどすれ違いもしない。なんというサービスだ。なんという世界だ。

空港内にある、あのファーストクラス乗客専用のラウンジだって、普通に考えればなかなかのサービスだ。しかしルフトハンザは、専用のターミナルまで作ってしまった。ここを一回でも利用したファーストクラス乗客が、あえて他の航空会社を利用しようと思うだろうか。飛行機に乗ってどこかへ行くということを、どこまでシンプルにできるか。上顧客を囲い込む最上級のサービスに違いない。
僕は高いお金を払ったわけではない。マイルを使った特典航空券で、実際にかかったのは税金くらいだ。でも、ほとんどの乗客は日本との単純往復に100万円以上もかけるような人なので、これくらいのサービスはむしろあって当然なのかもしれない。

そんな一連の出来事も過去のこととなり、飛行機は何事もなかったかのように離陸したが、いつもならすぐに消えるベルトサインが、離陸してしばらくたっても、なぜか消えない。変だなと思っていたら、機長からアナウンスがあった。フラップが故障した。地上と連絡を取りながらいろいろやってみたけど直らない。よってフランクフルトに引き返すことにした。でも燃料満タンで離陸したので、機体が重すぎて着陸できない。今から50トンの燃料を捨てるので待ってくれと。

飛行機には定められた最大着陸重量というのがある。それを超えていると、着陸装置が耐えきれない。そこで、空中で燃料を投棄して、軽くしてから着陸するのだ。十分高い高度で少しずつ投棄するので、燃料は霧状になって拡散、蒸発してしまうから環境に害はないらしいが本当だろうか。50トンも捨てるんだから、何も起きないとは考えづらい。今も、僕らの知らないうちに上空で大量の燃料がばらまかれているかもしれないのだ。
50トンといったら、ドラム缶300個以上もある。仮にジェット燃料が1リットル70円とすると400万円分の資源を捨てたことになるのではないか。

というわけで、離陸から3時間くらいして、ドイツに舞い戻る。乗客は外にだしてもらえない。コックピットのドアが開いて、ルフトハンザの技術者たちが大勢出入りし始める。外では、フラップの修理がはじまったようだ。修理にはさらに2時間以上かかるらしい。機内では乗客が携帯電話を取り出ししゃべりはじめた。飲み物も配られるが、俺を他の飛行機に乗せかえろという乗客まであらわれる始末だ。

勤務時間の都合か、乗務員が総入れ替えになった。本来の乗務員は北京行きの便に乗り換えるらしい。おそらく他の都市へ行く予定だった乗務員がこの成田行きで仕事をすることになるのだろう。彼らも大変な職業だ。

もし故障が直ったとしても、さっきまで故障していた飛行機を、今ちょっと修理したからすぐ飛ばしますというのは、なかなか怖いものがある。このまま修理が終わらず、今日もドイツに泊まるのかもしれない、と思い始めたころ、ようやく修理が終わった。さらに1時間かけて50トンの給油をする。なんともすさまじい話だ。

再び離陸し、今度は無事ベルトサインが消えた。これでようやく日本に帰れる。前菜、お吸い物、つき出し、台物などゆっくりといただく。隣の証券マンは食事中もパソコンをテーブルに置いて忙しい。株価か何かをチェックし続けている。

少し前まで、機内という環境での通信手段はせいぜい電話くらいだった。ところが今は、機内でインターネットにつながるようになったので、彼らは普通に仕事を続けられるようになった。いや、人によっては、仕事せざるを得なくなった。地上で状況が変化して、それを「知らなかった」とは言えなくなってしまったのだ。機内が暗くなっても、証券マンは忙しかった。

やがて機内が再び明るくなったころ、司馬遼太郎の「峠(下巻)」を読む。
「長岡までは二十里で、二日を要する」という文を、成田まで11時間で移動する機内で読む。

飛行機が着陸の準備をはじめた。
水田、曲がりくねった道。灰色の瓦、青いトタン屋根。
そこにどんな峠があったとしても、僕が気づかないうちに通り過ぎてしまうだろう。

(サッカーと建築とうまいメシの旅 おわり)

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