2000年9月アーカイブ

窓側と通路側が同じ航空運賃ということが信じられない。
特に夕刻出発の便に乗ったときは、その差は大きい。
仕事柄、福岡と東京を毎週往復している。たまたま仕事が早く終わった金曜日の夕方、飛行機に乗り込む。
ビルや民家が豆粒より小さくなってくるころ、視線をさらに上空に向けると、そこにはなんともいえない空間が広がっている。
青からオレンジに向かうグラデーションの世界。それは、雲がある日には、白い布の上にも広がっている。
やがて日が暮れると、空は青から深い紺色のグラデーションへ。オレンジはいつの間にか地平線にわずかに残るだけだ。

あの小さい飛行機の窓からこの空の色を何度とらえようと試みたことか。残念ながらカメラにおさめられた風景写真では、どう頑張ってもその雰囲気を伝えきれそうもない。
快適な温度に設定させている飛行機の中とは違って、1万メートルの上空ではマイナス40度の過酷な世界だ。その視点から見る夜の訪れ。空の上に広がるこの非日常の世界は、何度見てもその表情を変えて、ひきつけられてしまう。
3月、ノルウェーに行った。イギリスから日本に戻ってくる便では、北極圏を通過する。乗客はほとんど寝ていたが、僕は窓のシェードを上げて、外を見てみた。なぜか地平線は白く光っていて、そのまま紺色とまざりあっていた。

そういえば、昔、フランスのアンフォグラムスというところからドラッケンというゲームがでていた。
当時は3万色も表示できるパソコンが出てきた頃。このゲーム、常に地平線が画面の真ん中にあって、上半分が空、下半分は地面という、非常に割り切った作りだった。時間の流れがあり、やがてゲームの中の世界は夜になる。城の堀を歩いているだけでサメに食われるようなひどいゲームだったが、しかし空のグラデーションには、なんとも言えない感動を覚えた。

フルカラー表示が当たり前となった今でも、夕暮れをコンピューターで再現しようという試みはほとんどない。目の前に広がる空間、自分がおかれている状況や環境に人間の感情を揺るがす何かが秘められているのだろう。
カメラでもコンピューターでも表現できないこの何かを僕は最近探しつづけている。

日本でロールプレイングゲームといえばこのドラゴンクエストか、ファイナルファンタジー。クラシックを思わせる心地よい音楽にのせて、中世の剣と魔法のファンタジーの世界を舞台に、物語が展開していくこのゲームはドラクエという略称で親しまれている。主人公がしゃべらないという独特のスタンスで、役割を演じるというロールプレイングの原点をかたくなに守りつづけている。

さて、シリーズ7作目となるこの作品は、プレイステーション用のソフトとなった。任天堂のソフトはロムカートリッジで提供されているが、プレイステーションではCD-ROMで提供される。CD-ROMは、カートリッジと比べて、データの読み込みに時間がかかるのが欠点だ。物語も舞台も壮大なこのゲームで、場面が変わるたびに数秒間待たされていては、ストレスがたまってしかたがない。
そこでたとえば、ある街が近づいてきたらその街のデータを読み出し、音楽を切り替える準備をする、といった具合に、常にプレイヤーの行動を予測して、データを先読みし、カートリッジのように快適なゲーム展開を実現させる工夫がなされている。なにをするかわからないプレイヤーの行動を予測してデータを先読みするのは非常に難しく、その裏には日本のゲームが世界一と呼ばれる理由の1つでもある高度な技術力がある。
何も変わらないが新しい。最新の技術を表面にださず、ひたむきな努力でプレイの快適さを追求して妥協しなかったこのゲームのスタイルは、今後発売されるすべてのゲームに、いい影響を与えることを願ってやまない。

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